吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

長女が「面接は無理」と譲らず。困った

長女、高校受験です。第一志望校は推薦50%一般50%の高校。
長女は吹奏楽頑張ってたのもあり、道コン(模試)で考えると内申点が相当に良いようで。
推薦貰えれば、まずは推薦、それで駄目なら入試と2回チャンスがある。
だから、まず学校推薦取得を宣言し、駄目なら普通に頑張れと言っているのだが。
本人曰く「学校推薦貰えるわけがない」と。
就職と違い、学校の面接は吃っても大丈夫だし、元々中学校では配慮されてるから吃音のハンデは無さげ。
学校推薦貰えなかったらそれは元々実力がないから(でも模試的には大丈夫らしい)で。
締切まで1週間。なんとか翻意させないと。
までもその高校に決まったら、遠いから大変だとは思うけど、それも経験だと思うし。

子供達の週末の様子

先週末の土曜、長女は妻と高校の体験入学、次女はクリスタルキッズ(上川中部地区管内小学校合同吹奏楽バンド)の練習参加

......こういうの、吃音関係ないし今ままでは別ブログに記録で書いてましたが、吃音関係なく家族の事はこのブログで書いてこうかなと。

長女、今回の体験入学は当初は実際乗るであろうバスでの体感も兼ねてで考えていましたが、
予報で荒天(学校最寄りにの停留所から800m離れてる)、次女の今回の練習場所がその高校から近いのもあり、行きは送って、帰りはバスでって事で送りました。
次女を送って、60分時間があるのでその高校周辺を流して、近くの休憩スペースあるお菓子屋で時間調整。
その高校、なんで選んだかと、親の強制(☓市立○公立)ではないかと妻と気を揉んでいて。
その60分で聞き出そうと色々したのですが、どうやら自宅から一番近い私立高校(理由は高校どこでもいいので近いとこ)みたいで。
小5からずっと一緒だった子が別の私立専願なので妻と正直驚く。
今回体験入学する高校もそんなに興味がない感じでもあり(それならちょい頑張って俺の実家&職場が近い高校にしてくんないかと)
で、高校に降ろして近くのGSMで待機。90分後、バスの乗車時刻になっても連絡来ず。10分後「乗れなかった」の連絡。迎えに行く。
自宅と高校は旭川の端から端で。始発から終着路線で。んで土曜なので更に便数が少ないと。
12:30のに乗れないとそのバス停では90分ないので10分程度歩いて別の路線で旭川市内行に乗るのだけど。
結構濡れてたのでまたGMS行ってラーメン昼食。
遅れた理由は当初なかった部活体験があり、吹奏楽で吹いてたから。長女が体験してる時に妻は保護者間で色々聞けたようで収穫多し。
ここは単位制で1年後期からは授業ごとにそれぞれ移動する感じらしく、
長女はそういうのも考えて(1人の時間が多くても変じゃない)、この高校体験したくなったのかなぁと。

GMSで時間つぶして次女迎え。
次女は休憩等、同じ小学校の子やパートではクリニックで顔見知りになった他校の子とストレス無く時間を使えたみたいで。
までも100人の演奏を密度濃くなのでぐったりしてましたが。

次女は今の所、長女ほど吃音症状は重くなく、友人も多数いて恵まれているので、
だから来年の中学入学は長女以上に心配でして。


日曜は次女が午前中部活だった以外は特に友達と会ったりとかはなく。


長女次女ともに週末は友達と~ってあまり無く。近所で遊ぶってのはあるけど。
田舎だけに、例えばイオンで~ラウンドワンで~ってなると親達が送迎ってなる。
我が家はジジババがいて、週末は俺も妻もサッカーTV観戦優先なので子供達の友人が来づらい環境で(申し訳ない)
吃音落ちだから親が関与して色んなトコ連れ出したいけど、平日疲弊してるのだから一人でマッタリさせたい気もあるし。
「色々申し訳ない」としか言えない。

北海道言友会「国際吃音啓発の日記念行事」イベント(2018.10.22)に参加、感想

北海道言友会「国際吃音啓発の日記念行事」イベント(2018.10.22)に参加しました。感想、雑感です。
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8月の旭川例会で開催するよと聞いて、2月以来の椎野先生のお話聞きたくて、参加。

吃音関係ないけど色々動くと色々経験積めていい感じです。勉強になりました。
JR北海道、カード払(えきねっと)登録すると往復チケット(Sキップ)より安く片道チケット買えるのね。
旭川駅周辺の駐車場事情もリサーチできたし。

会場オサレな、間接照明な会場でした。会場撮影係を拝命されたのだけど俺のスマホでは暗さが影響してピンボケの山。トホホ。
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カフェマスターは入口でコーヒー作ってました。撮影したけどお客さんの影になってるし。現場で気づかず。トホホ。

旭川でもこういう資料作らないと。
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会場定員60名のところ、50名以上の参加者でした。新聞社も数社来てて読売毎日は事前に告知してくれました。ありがたや。
新聞効果でしょう、参加者半分くらいは知らない人だったようです。


椎野先生の想いと意図を聞いた後、
本の感想を吃音持ちの中学生と保護者、吃音持ちの専門学校生、吃音持ちの社会人、支援者の南先生が語って、質問&感想などを。

椎野さんは「小説家」と言う吃音を超えるものが出来て、吃音が改善したと。
自分も浦和レッズのサポ活動でそれまでは無茶だと思ってた事も沢山経験できて、結果改善したので、共感できました。

北海道新聞さんが記事にしてくれました。ありがたや。
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本はこれ。以下ネタバレ含めで感想書きます。
イベント前に2時間弱で再読できました。再読は気づきがあるなぁ。

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

質問させていただきましたが、主人公の吃りの強弱は感情表現ではなく。
人によって強弱のシーンは違うので、できるだけ感情は関係なく、
主人公が苦手な行について吃りの表現をしたと。なるほどな~と。

主人公ばかり考えてましたが、ヒロインの成長物語でもあったのだなと。
ヒロインは今まで孤独で偶然吃音持ちの主人公に出会い「友達になれる」と囲い込んじゃった、誰も渡さないって。
それが変化していくんだけど。これって志乃ちゃん映画と同じ視点だよな~って。
原作ではなく、映画の視点「居場所を探す話」繋がった~って思いました。
孤独は怖い。

例会後やイベント後、全国大会後の食事会飲み会楽しいのは「一人じゃない」と感じられるからだろな。共通項がある人達。
自分の場合は言友会だけではなく、浦和レッズの仲間内とか、コンサート後(どちらも全然行けてませんが)とかの食事会と同じで。


自分が書いたメモ書き羅列すると。
苦しさを知ってほしかった。
吃音と向き合う(違うと思い込む)
「あいうえおって言ってみて」で逃げなかったのは、主人公の意思
主人公はしゃべりたい→普通のままでいたい

南先生の指摘「清水君の応対」について。
清水君は最初はフレンドリーに接するのだけど、主人公の吃りを見て「ごめん」と言って以降主人公とは距離を置くようになります。

そこで、うちの長女と次女の吃音の向き合い方と。構えてしまうんです。
長女は小2でいじめられた経験と小3で担任と合わなかった(担任は単に吃音に無知なだけ、俺が悪かった)のがあって、
小3で視線が集まると話せなくなった。
小6の部活引退では音楽ホールで数百人の前で話した事もあったのだけど、配慮、配慮で話す機会がない。「ない」を選んだのは長女なんだけど。
カミングアウトもしてて、担任からも言ってもらったりして、だから?、線引かれた感じ。
良かったのだろか?
俺も相当差別意識書いてますが、皆の前で話せないだけ、それだけなのに、線を引かれて、いないことにされる。

次女はいじめは無く、年々難発症状は強くなってますが、(言葉の教室には通ってるが)クラス3役もするし、日直も一人でこなすし
授業も特に配慮無く(先生達は吃りそうになるとハラハラしてくれるようですが、ありがたい)。
で、次女は極力吃らないように学校では無駄口話さず、言い換えも沢山し~で。

隠せる隠せないも絡むと思うのですが


椎野さんが「本当に申し訳ないけど」って何回も言ってたけど「特別扱いは傷つく」「わからないように配慮してほしい」と

「傷つく」「プライド」の話はイベント後の食事会でも出たのですが「隠せるから、見えない障害だからの苦しみ」なんだろなと。
自分は話す事の「プライド」は捨てたので、変なヤツと思われても「目標を達すればいい」「変なヤツに思われたほうが楽」な境地。
確かに吃音無ければそんな演じる事はしなくてもいいのですが。


受容な話になるのですが、受容しなくても吃音改善する人は一定数いるのだなと。それこそブライドなのかな。ストレスを溜めないなのかもだけど。


食事会途中で抜けて、帰りの電車の中で「居場所」「学校での配慮って両刃の剣」とか考えていました。
志乃ちゃん映画の感想やっと書けるかな~書く前にもう一度観たいかも。

長女のラストコンサートと次女の学芸会の配慮有無

長女(中3)の部活(吹奏楽)のラストコンサートが9月下旬にありました。
長女は小学生の時はアルトホルンだったのですが、中学でチューバに指名され、3年間チューバでした。お疲れでした。
腰いわしてて、整骨院か整形外科で診てもらったほうが.....
までもこの前タモリ倶楽部でチューバ特集を見つけて録画してて、今はチューバ愛あるのかな。
タモリ倶楽部:チューバ回 - Togetter

ラストコンサートなので卒団する3年生が一言、それで感謝の言葉を2年生がって通常あると思うのですが、
長女への配慮だと思うのですが部長だったり、パートリーダーとかで3年生は何気に全員が話してる風な感じにして、長女が話す場面は無く。
3年生バンド、せカオワのピョンチャン五輪の曲だったのだけど、長女のチューバの音色がドラム以上に皆を支えてて凄く良かったです。
高校進学したら吹奏楽はしないと言ってたけど、どうなるか~
長女は皆の前で話す機会が多い3役にはなりませんでした。パートリーダーにも指名されませんでした。
配慮なのか、実力なのか。両方だったのではと思います。
色紙に先生が「3年になって凄く伸びた」って書いてあって、実際3年になって表に出ることはなかったけど、
後輩から頼りにされたり、3年生間のイザコザの調整だったりで心労が絶えなかった、上級生らしい時間を過ごせたようです。
いっぱい色々貰って帰ってきました。
自分は小中と生徒会とか放送部とか、隠れるような、アリバイ的な部活だったので、娘達の部活、純粋に凄いと尊敬できます。


次女(小6)の学芸会。今年は劇。ライオンキング。セリフは一言。劇中のパーカッション演奏もあり、吹奏楽での演奏もあり。
次女は幼稚園から重要なセリフを任される事が多く、でも上級生になって目立つ役は回避してる感じで。今回も端役っちゃ~端役。
劇中での、今年は太鼓、昨年はダンスと偶然なのか配慮なのか「話さなくても目立つ」感じになりました。演目選定での配慮なのかなぁ?
セリフはテンポよく言えてた。音量は小さかったかな、までも無問題。
吹奏楽での演奏がとても目立ってて、サンボマスター「できっこないをやらなくちゃ」をドラムでカッコよく決めてて
外国人先生にめちゃめちゃ褒められたらしい。(例文に使われたらしい ○ ○ did a wonderful performance at a school arts festival かな)
親からの目線だと今年も大丈夫だったかな~吃音は邪魔しない感じだったかなぁと思いました。

ありがたや、ありがたや

この前の次女のケース会議のお話

この前、「ことばの教室」に通ってる次女のケース会議がありました。
「ケース会議」で検索するとネガディブな感じがして、残念に思う自分が残念と言うか。

次女は小1から本人の希望で「ことばの教室」に通っているのですが、学校側では一貫して「必要ないのでは?」な感じです。
でも昨年始めて難発で言えない事があり悔しくて?泣いた事があったようで。
今は落ち着いてて、自宅では結構吃ってるのだけど学校では吃らないように振る舞ってるらしく。
長女ではお願いしてた支援は全くお願いしてなく、先生達が気づいたら助け舟を出す感じで。
今回のケース会議での、こちらからのお願いは
次女は小6なので、来年中学で、中学は「ことばの教室」ないので進学時の情報の受け渡しのお願い、で
先生間と我々保護者と中学校のコーディネーターさんとの面談希望。位な感じ。
次女は部活の部長副部長は固辞するも、クラス3役とかは普通に受けてて。
長女や俺の小学校時代よりは交友関係順調な感じで安心な感じ。


で、なんで書いてるかと言うと、残念に思っている事があるから。
先生達の観察眼が「吃ったか・吃らなかった」かに終始していて。
多分俺が伝えきれてない、俺がまだ偏見がある、のだと思うけど。

「吃った吃らなかった」ではなく「(吃っても)言いたい事が言えているのか」に注目してほしい。

次女は「吃音でないように話す」を目指しているので、その考えを「吃ってもいいから言いたい事を言う」に変えさせたい。

今は環境に恵まれてるのもあり、「吃音でないようにしてて、言いたいことは言えてる」状態のようで静観してるのだけど。
女子は男子より改善率も高いし、発話から逃げてないのでこのまま「隠れ吃音?」に移行できるのかもだけど。

半年1回だけど毎回残念に思っていて、残念に思うのは学校ではなく、自分に。

伊藤亜紗先生のブログに名前が載りました

伊藤亜紗先生からオファーありインタビューしていただき、ブログに載りました。変な表現だな....
UP前に読んだのですが「ん~」を多用してるのかなぁ~と。無自覚でした。考えてる時の「ん~」なのかもだけど、「ん~」も助走なのかもしれない。

このブログまで宣伝していただきありがとうございます。定期的に書かないと。最近サラッと書けなくなってて(汗)

伊藤先生のブログ、リンク集に加えないと。吃音持ちさんインタビューも多く、視野が広がるはず。

伊藤先生のブログ
asaito.com

の、「リサーチ」のトコがインタビュー集のようです。
asaito.com

伊藤先生ありがとうございました。お恥ずかしい。普通のサラリーマンなんですが、吃音持ちだからこんな縁が。

までも吃音持ちじゃ無くても、縁は行動すれば色々できるはず。
前進でも後進でも右でも左でも上でも下でも、動けば何かが変わる、ネットで繋がっていれば。
吃音持ちでも人生楽しめるもんです。
死のうと思ってたの小学生時代が一番多かったかな。今は死ぬのは勿体無いと思うようになってる。

や、ホント、映画「LIFE!」オススメです。
最初は「サントラが凄く良い!」と音楽で繋がってる人に紹介されたんだけど、自分のサポ時代を思い出します。飛び込む、巻き込まれる感じが。

youtu.be

amazonプライム会員なら?300円。前無料だったのに~残念。
吹き替え版は視たらダメよ、字幕版で。主人公の目の色が変わっていくのがぼやけるから。

書籍「どもる体」は連発難発対処の工夫を文章化してくれてニヤニヤした。

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本購入の順番だと数冊後に読む自分ルールに背きtwitterで流れてて読みたくなり。
感想は
「吃音あるあるが文章化されてニヤニヤした」
「「乗っ取り」で苦しんでる人に会った事があるので真摯に」

最後で結構語られる「言い換え警戒派と共存派」のお話。
言い換えは基本的にNGと教えてる事が多いので、警戒派が多数だと思います。

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

amazon商品紹介抜粋します
商品紹介、目次もあって非常に読み応えあるので一読推奨です。

本書は、あくまで「どもる」という経験にこだわり続けます。
それを症状ではなく経験としてとらえ、その意味を見出したい。
どもるとき、当事者のなかではいったい何が起こっているのか。
それはどのような出来事であり、当事者はそれとどのように付き合っているのか。
そこには、人間がこの「自分のもののようで自分のものではない」体を抱えて生きることの
本質があるように思えるからです。

amazonレビューにも書きましたが吃音持ちが意を決してカミングアウトしても相手にはその意気込みが伝わらない事が多く。
この本読むと、連発難発回避でどれだけ工夫して発話しているのか、判りやすいので、非吃音持ちさんに読んで欲しいと思いました。
小さい事ですが三島由紀夫の「金閣寺」の吃音のトコが引用されている箇所があります。


感想続きで、自分の事も書くと。
発話の不思議「初音ミクが1単語話すのに4ヶ月?掛かった」「”ん”は数パターンある」で驚き
3語先って話は確かにそうで。
連発は自分にはもう無く、難発で言えない時に文章を繰り返す事は通常運転。
難発の恐怖で「力を常に抜く」を心掛けるようになって数十年。自分はいつも体が揺れています。
言い換えはあまりしない、でも助走(前置き)は必ず使うようになった。
リズムもそう、リズムと言うか発話の抑揚を大事にしてる。
そのリズムが「不確実性減少装置(始めてなのに過去の経験に由来する)」と書かれて新鮮に感じた。
音読練習がなぜ音読の吃音改善に繋がるかも過去の経験に由来するからなんだろなと。

リズムのそうだけど演技の話も面白かった。演じると吃らないのは.....って話。
自分も「浦和レッズのサポーターならこういう行動をするはずだ」で自分を律してるし、だから10代では逃げて来た事も逃げないで、成功体験を積めたので。演技は即興でも吃りずらいように思う。


「うまくいく方法が私を乗っ取る」話は。深い話で。
「吃らないで喋ればいいじゃん」って事ではないと改めて。

この本で言うと「リッカムプログラム」はどういう位置づけになるのかなと。
自分のイメージでは、吃りそうになるのを無意識に回避するのがこの方法だと思っていて。
当てはまらないのかな。
あくまで吃音症状が固着してしまった人向けの本だよなと思いました。

「思考はしゃべると同時にわくものだ」
そう思う。でも吃音持ちは「話し切る」事が一番大事でそこまでの余裕がない事が多いので
タイミングがずれたり、相手の話を聞いてなかったりする、残念なあるある話。


言い換え。
自分は浮かんだ言葉を言うために助走(前置き)を多用していて。
昨日も「チルド」が言いたくて(今考えたら「冷蔵」でも良かった)、
何を前置きに使ったかって「冷凍でも常温でもなくて」って言葉。
まどろっこしいよな~と思い出して苦笑しました。


「変な人と思われていい」と思ってから、いつの間にか、「ゆっくり朴訥」と話す方法から「身振り手振り交えて早口で」に変換した自分の話し方。
今となっては「ゆっくり朴訥」に憧れるのだけど、どれが自分なのか、確かにワカラナイ。
最近発話練習本を数冊買って「ビジネス時は演じていいでしょ」とか読むと、「俺は24時間演じて発話してます」って毒ついちゃうのだけど。


結婚当時(30代前半)では吃音あったけどその時は全然悩んでなくて。娘が吃音持ちになりで再び吃音に向き合い10年近く。
今でも自分の吃音に関してはガッカリはするけどヘコタレて無く。ただただ娘が不憫で不憫で。
北海道言友会に入れてもらい色んな人と会えて。吃音の事ここまで考える事は無かったよなぁ~と。