吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

自分の自己肯定力が上がった理由を考える

twitterから


「心を強くする」って「自己肯定力UP」だと思ったので検索したらここに辿り着いた

「子育てハッピーアドバイス」を読んで - うちの子流~発達障害と生きる

吃音に限らず(ここのお子さんはADHD)障害をもつ人には「自己肯定力とっても大事」なのだなと改めて。

さて、自分はどうだろうと。今の考え方はどこで身に付いた?

拠り所はテストの成績とか知識だったと思う小中学校時代。
高校では入学時みな同じレベルで、大学進学の意欲も無くなってからは結構授業中抜けてて。
どもりだけが悪い訳じゃないけど、初めて(軽いけど)イジメも経験し。
高1、高2って一番不安な時期だったな。
部活や趣味(ラジオ、音楽ネタ)繋がりで友達もできて(今は何してるか知らんけど)
高3の2学期から真面目に勉強してそれなりな点数を取り「実は頭いい」って周りに思われて。

専門学校時代は本当に自信になった。
今まで会ったことのない人種と交われたのは素晴らしい経験だった。
奨学金(無利子で返済するタイプ)借りれたし、担任との約束も守れたし。
下宿のおじちゃんおばちゃんには食わず嫌い克服とか本当にお世話になった。
ヤンキー体験、剃りこみの子達(同級生ですよ)に引っ張り回されての交流、始めてな事ばかりで視野が広がった。

吃音にビクビクしながらも、この段階で自己肯定力ってそれなりにあったのかなぁ。
無表情ではあったんだけど。

親父が「お腹が痛い」と病院行った100日後、担当医の予言通り亡くなって。(癌)
「こんなに簡単に人は死ぬのか」ってショックと、お通夜で「どもりは遺伝だった」と知ってから
楽と言うか「しょうがない」って割り切れるようになって。

上京して、ルールを破って行動した事が今年で21年だった浦和レッズとの関係性の始まりで。
パソコン通信peopleのオフ会で知り合ったお仲間達やボルテのコルクボードでの出会い。
浦和レッズにくっついて、色んな経験、成功や挫折、無力感とか。

親父の葬式でも無表情だった自分が、喜怒哀楽を開放できたのが
セラピーと言うかリハビリと言うか、
「動けば状況は変えられる」「どうしようもない事もある」って経験で信じられるようになった。
いかにもサッカー的な思考になったなって思う。
多分1人じゃないから、その行動に共感してくれる人達がいるって実感できてるからかな。


口ばかりで動かない人って、以前は軽蔑してたけど、今は「勿体無い」って思う。可哀想って。
損得勘定で動かない人はまぁそれならありだと思うけど。動いたほうが絶対にいい経験積めると信じてるけど。


自分は浦和レッズに出会えてラッキー。
でもそれは自分1人で行動したのではなくて、背中を押してくれた人がいたから。
川越の競技場で職場の寮の同期と指定席で試合を見てて、ゴール裏が面白そうってハーフタイムに行こうとしたら「指定チケットではゴール裏に入れません」ってシミスポに言われ、斜め下に座ってた年上の男性と3人でゴール裏に行ってL旗に護られながら引き上げて貰ってから。



「動かない」というより「動けない」「戸惑ってる」人が多いのが吃音だと思う。
踏みだそう、乗り越えようって吃音持ちの自分の経験が動機になれれば。
押し付けは厳禁だけどね。

でも、サッカー、Jリーグはオススメ。
週1で試合あるし、話しかければ、周りに合わせれば色んな人と知り合いになれるし、ACLやW杯ならば外国人の人達とだって簡単にコミュニケートできるし(その国や選手を拍手するだけでOK)
知らず知らずに自分の世界が広がる。
埼玉を離れて10年以上ですが、浦和レッズが縁で北海道在住REDSサポさん達と交流あるし、コンササポさんとも交流できてるし、結果論だけど、自分の世界を広げるツールとしてサッカーって欠かせない。


同じ場所に、同じ時間、いるだけ、とっても大事な事。
継続って大事なんだなって福岡言友会の40周年の本とか、北海道での例会でも改めて。
それも自己肯定力UPなんだろな。吃音を利用した繋がりだっていいじゃないね。
てか吃音持ちの経験を良い悪い全部、吃音持ちになってしまった子供達に伝えてほしい。
吃音持ちも「1人じゃないんだよ~」って。
「自分だって出来るかも?」って思えるような環境作り、自分の目標だよな~


今回も纏まってないが時間切れ。