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吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

感謝です

今日から子供達の学校2学期開始。

うちの子、特に上の子だけど平々凡々に過ごしてるように見える。
平々凡々なんて日常はないと思うけど(だから生きてて楽しいのだけど)、
特に上の子「ことばの教室」に通いだしてから、平々凡々に近くなってるなぁ~ありがたいなぁと思う。
以前は日直当番が毎回荒波を起こす感じ。当番が近づくにつれて感情の振れが大きくて。
今も同然回ってくるけど、前ほど予期不安や失望は軽減されてるようで少しづつ自信も出てきてるようだ。

部活での成果や担任はじめ皆さんのサポートあるだろけど、「ことばの教室」での成果が出てるのだと思う。
下の子も周りの子に絡んでるけど内心吃音にビクビクしていて。その下の子が「どもるけど大丈夫」って言えるようになったのも「こどばの教室」で自信つけさせてもらってるからだと思う。


伊藤先生のwebにこんなのあった。激しく同意

参加者からの質問のひとつ。
 「私は、教師であり、教員免許はもっているが、言語聴覚士の資格はない。そのような人間が、吃音の指導をしてもいいのか」という、こんな質問ははじめてなのでびっくりしました。
 いろんな質問に答える前提としてまずその質問を取り上げました。僕は、吃音の取り組みは、治療・言語訓練ではなく、教育だと考えていますので、はっきりと、幼児期・学童期の吃音は、幼児のことばの教室が静岡の場合設置されているので、学童期は当然のことながら、是非、教員免許をもっている、教師にこそ取り組んで欲しいと話しました。学童期になけば、理科や社会の教科学習とおなじように、ことばの教室では、「吃音学」を学習することだと話しました。言語聴覚士の資格ができ、その認知度がたかまるのは良いのですが、ことばの教室の教師が、このような思いをもつとしたら、残念です。なぜ、このような質問がでるかと言うと、「吃音は、治療、訓練だ」との社会の思い込み、言説があるからです。

伊藤伸二の吃音(どもり)相談室 : 支援者にとって大切な、謙虚さ、無知の姿勢

「ことばの教室」ってそれぞれ手探りって聞いています。異動も頻繁で習熟も難しいらしいとも。
通ってる子は同じ先生にずっと指導してもらったほうが精神的安定度が違うのになぁって。

いい先生に赴任していただいて、とても良かったと心底思います。

これからもよろしくお願いします。