吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

吃音持ちの話し方で考えた(2/17.2/18椎野さんの講演会から)

北海道言友会旭川ブロック恒例の中高生向けの勉強会。
昨年秋の北見での講演会が凄く良かったので旭川でも~って南先生に仲介お願いしたら本人からOKが出て。
会計的にも島田先生からOK出てお呼びする事ができました。椎野先生です。

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

今回も凄く良かったです。土曜(中高生というか小学生向け)も日曜(保護者支援者向け)も。
「部活休んで参加する」と言ってた長女はインフル明けで咳が止まって無く断念。奥サマも日曜までインフル保菌状態で断念。
ICレコーダー持ってけば良かったなぁ~と。自分のスマホの性能を恨みましたな。

本題。
北見で奥サマとも話して、日曜参加者からも話があったのだけど、椎野先生の話し方が「誠実が滲むような」「説得力のある」話し方で。
具体的に書くと「ゆっくりで」「しっかりとした」「よどみ無く」って感じかな。間がとてもいい感じで。
本人は意図してないようで、「話す経験が少ないので息継ぎがわからない」「随伴も使ってます」という感じ。
自分には「全て大脳でコントロールされた話し方」だと思いました。

実は自分も小学3年4年?「落ち着けば話せる」と気づいてから親父が死んだ22歳まではそういう話し方で。
でも親父が死んだ時に「泣きたいのに泣けない。喜怒哀楽の感情失ってる」と気づいて。


前にも書いたけど「流暢に話せるけど周りに理解されないので辛い」吃音持ちが以前例会に参加してくれて。
その方の環境もあるし、性格もあると思うけど「コントロールされた流暢な話し方は不幸なのかも」と。
仕事では「伝わればいい」と思うので「流暢に話せればそれでいい」と思うけど。プライベート、普段の会話ではどうなのだろう。
その吃音持ちさんの話し方は評論家風というか目線が高いと言うか硬いと言うか。職業的にそういう形成に至ったのかなと。
だから、誤解を受けてしまい、友達が出来ないと。吃音を恨んでいると。


今の自分は、「リズムで話せると気づいた」「難発の怖さ」から間髪入れず話すスタイルになって、
奥様サマには「出会った時マシンガントークな人」だと思ったとの事で。(このブログと同じで「句読点が少ない」感じ)
親父が死んだ1年後に上京して、ほぼ10年親戚と会って無くて、話し方が変わってて。そいえば従兄弟たち目を丸くしてたなと。

感情は浦和レッズのサポ活動で大声出してるうちに取り戻した。
椎野先生は喜怒哀楽表現できるのだろうかと正直心配になった。


話し方、どちらがいい?って22歳までの朴訥とした話し方がいいのかもだけど、
ノリつっこみだとか自然に笑えるだとかは、リズム使った今のほうが喋りやすいし。
プレゼンとか、「説得」的なときに朴訥な、言葉が切れる感じな22歳までの話し方を使えれば。

今はその22歳までの朴訥とした話は正直出来なくなってしまっている。難発の恐怖なのかな。

椎野先生の心地よい声を聴きつつ、そんな事考えてた。