吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

書籍「どもる体」は連発難発対処の工夫を文章化してくれてニヤニヤした。

f:id:sadakiti:20180618154034j:plain

本購入の順番だと数冊後に読む自分ルールに背きtwitterで流れてて読みたくなり。
感想は
「吃音あるあるが文章化されてニヤニヤした」
「「乗っ取り」で苦しんでる人に会った事があるので真摯に」

最後で結構語られる「言い換え警戒派と共存派」のお話。
言い換えは基本的にNGと教えてる事が多いので、警戒派が多数だと思います。

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

amazon商品紹介抜粋します
商品紹介、目次もあって非常に読み応えあるので一読推奨です。

本書は、あくまで「どもる」という経験にこだわり続けます。
それを症状ではなく経験としてとらえ、その意味を見出したい。
どもるとき、当事者のなかではいったい何が起こっているのか。
それはどのような出来事であり、当事者はそれとどのように付き合っているのか。
そこには、人間がこの「自分のもののようで自分のものではない」体を抱えて生きることの
本質があるように思えるからです。

amazonレビューにも書きましたが吃音持ちが意を決してカミングアウトしても相手にはその意気込みが伝わらない事が多く。
この本読むと、連発難発回避でどれだけ工夫して発話しているのか、判りやすいので、非吃音持ちさんに読んで欲しいと思いました。
小さい事ですが三島由紀夫の「金閣寺」の吃音のトコが引用されている箇所があります。


感想続きで、自分の事も書くと。
発話の不思議「初音ミクが1単語話すのに4ヶ月?掛かった」「”ん”は数パターンある」で驚き
3語先って話は確かにそうで。
連発は自分にはもう無く、難発で言えない時に文章を繰り返す事は通常運転。
難発の恐怖で「力を常に抜く」を心掛けるようになって数十年。自分はいつも体が揺れています。
言い換えはあまりしない、でも助走(前置き)は必ず使うようになった。
リズムもそう、リズムと言うか発話の抑揚を大事にしてる。
そのリズムが「不確実性減少装置(始めてなのに過去の経験に由来する)」と書かれて新鮮に感じた。
音読練習がなぜ音読の吃音改善に繋がるかも過去の経験に由来するからなんだろなと。

リズムのそうだけど演技の話も面白かった。演じると吃らないのは.....って話。
自分も「浦和レッズのサポーターならこういう行動をするはずだ」で自分を律してるし、だから10代では逃げて来た事も逃げないで、成功体験を積めたので。演技は即興でも吃りずらいように思う。


「うまくいく方法が私を乗っ取る」話は。深い話で。
「吃らないで喋ればいいじゃん」って事ではないと改めて。

この本で言うと「リッカムプログラム」はどういう位置づけになるのかなと。
自分のイメージでは、吃りそうになるのを無意識に回避するのがこの方法だと思っていて。
当てはまらないのかな。
あくまで吃音症状が固着してしまった人向けの本だよなと思いました。

「思考はしゃべると同時にわくものだ」
そう思う。でも吃音持ちは「話し切る」事が一番大事でそこまでの余裕がない事が多いので
タイミングがずれたり、相手の話を聞いてなかったりする、残念なあるある話。


言い換え。
自分は浮かんだ言葉を言うために助走(前置き)を多用していて。
昨日も「チルド」が言いたくて(今考えたら「冷蔵」でも良かった)、
何を前置きに使ったかって「冷凍でも常温でもなくて」って言葉。
まどろっこしいよな~と思い出して苦笑しました。


「変な人と思われていい」と思ってから、いつの間にか、「ゆっくり朴訥」と話す方法から「身振り手振り交えて早口で」に変換した自分の話し方。
今となっては「ゆっくり朴訥」に憧れるのだけど、どれが自分なのか、確かにワカラナイ。
最近発話練習本を数冊買って「ビジネス時は演じていいでしょ」とか読むと、「俺は24時間演じて発話してます」って毒ついちゃうのだけど。


結婚当時(30代前半)では吃音あったけどその時は全然悩んでなくて。娘が吃音持ちになりで再び吃音に向き合い10年近く。
今でも自分の吃音に関してはガッカリはするけどヘコタレて無く。ただただ娘が不憫で不憫で。
北海道言友会に入れてもらい色んな人と会えて。吃音の事ここまで考える事は無かったよなぁ~と。