吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

「記憶する体」から湧き出た思考

いただいてからプロローグとエピローグを読み、言友会の全国大会参加の道中で読み終えてて、どう書こうかと思い悩み、
またエピローグとプロローグと目次を読んで想いを巡らしてる最中で。
amazonレビューには吃音に限らずな事書いたつもりだけど。オススメです、「記憶する体」。
f:id:sadakiti:20191128162531j:plain
マクロな感想として。
寛容不寛容、「障害者って言えないのでは?」「そもそも障害者って定義は」って考えてしまった本でした。


ほんの数文字私の名前が出てるから、この本、いただいたのです。伊藤先生ありがとうございます。

共感されなくてもいい、ミクロ的な感想は以下。
視野が広がったのと、自分をヨリ知ると言うか、なんだか不思議な感じです。
でも「自分だけ、吃音持ちだけではない」「マニアックでは無くて、実は誰にでもある事なのでは?」の想いがムクムク湧いてきます。
だから「話し方改善は出来るのではないか」と思った次第です。
自分は吃音を諦めたのと浦和レッズのサポート活動で性格、行動原理を変えることはできました。歩く時猫背じゃなくなったし。

エピローグの吃音持ちさんのクダリはどういう環境なのだろう?
このコミュに参加できなくなるって危機感、周りの吃音持ちさん達の目、空気を読んでの「飲まない」なのかな?
自分なら即座に「飲んで吃音とオサラバする」かな。もし1錠しか無ければなければ、より重い長女に飲ませる。
確かにもう50年生きてきて、吃ってるが何とかなってるので「飲まなくていい」とカッコつける事はできます。

脳と体の話。
以前NHK特番で脳と臓器で情報交換してる、臓器や筋肉、骨、つまり体の判断で動くことも多いと放送していた記憶が。

認知療法で「吃りは吃らないと発話できないと脳が記憶してるから」ってあるのだけど、記憶してるのは、脳ではなくて、体なのかもって。
引っかからずに言えた経験で「この方法でならもっとスムーズに出来る」と脳がデバックして流暢性増すと。

筋電で動く義手義足が3Dプリンターのお陰で普及しやすくなってる環境だとか。
途中から身体不自由になった人は欠損した部分が蘇るのかもしれん。生まれつき五体満足ではない人が装着したらどうなるのか?

脳が、あると思って命令を出すから痛みが出るので、ならVRで脳を満足させれば本当に痛みが消えるなんて。

アルツハイマーの方が「体が記憶する部分を全部脳で行うから非常に疲れる」話って
新人は疲れるけど、ベテランは楽チンって感じと繋がる話でもあるのだろなと。


運転中に熱く話しだすと結構危ないと妻に言われる。
自分にとって話す事って体を動かす事なので注意散漫になりがちなのだろう。実際交差点で怖い目にあってる。
本来使わなくてもいい部分を使ってるからだろなと残念な気持ちにはなりますが、注意&工夫でやり過ごせるのでまぁしょうがないかなと。

創意工夫が「本来の自分ではない→話すときは自分自身でいたい→自分自身とは何さ?流暢に話す事ではないかい?→ならテクニックで流暢性増すのはアリでは?」で思考停止になるのですが。

この本読んだから、アスリートの肉体改造にヨリ共感できるようになりました。
例えば原口元気。元気はREDSの子で今はドイツで頑張ってる。
小学生から神童でしたが、でも本人はもっとレベルアップを目指して筑波大で走り方を学んで。
その走り方を数年書けて会得、体に覚え込ませる事でスタミナが増して(効率的に動ける)速くなった。
瞬発力、キレだけだったのに、今や代表で持久力が大事なボランチをやらされたり。この変化。
REDSで言うと、関根も槙野も武藤も走り方改善で120分動ける体力になったと。効率的に走れるようになったから。

彼らが出来るのだから俺も話し方改善で理想に近づけるはず。
先生はいないので我流になるけど、目指す先は小学生の頃の自分なのだから、何とかなるはず。冷静になれば、何事も達観すれば近づけると思うし。

amazonレビューに繋げるけど寛容の話だとも思いました。
こんな人達がいるのですよ、で、私もその1人で、障害あるなし関係なく、実は全員そうなんじゃないかと。


体を騙す話は本当に身につまされる。吃音でいう随伴ってそうだと思うし。
自分にとって、どう難発を抑えるか、体が固まるをどう防ぐか。最悪平井堅さんみたいに手をヒラヒラさせればまぁ何とか声は出るし。


吃音持ちの子供に聞かれたら「頭の回転が速すぎて口が追いつかないから吃るんだよ~成長したら治まるよ」って逃げ言葉あるんだけど
実際3歳で5%なのが5歳6歳で1%になるのだから体?脳?の成長は大事なのだろな。
全国大会で自分より年上の人達が軽く吃りながら軽やかに、又は朗々と話してるを体感して、
自分も朴訥と、駒場で背中でサポートしてたみたいに堂々としてたいなと。


本の中身と乖離してしまったけど。そんな感想と言うか気持ちになりました。
世の中は知らない事ばかりで、知れば、豊かになるのかなと。
自分の吃音に関わる事柄が、全く違う症状の方達でも起きてるなんて。
吃音持ちさんだけでも「1人じゃない」なのだけど、真に「1人だけど、みんなでもある」なんだなぁと気づきの本になりました。

伊藤先生ありがとうございました。