時間潰しに。
昔(3千年前?)から知られているのに吃音支援が広がらないのは相手の情報不足?こちらの情報不足?
「結婚を望む知的障害者に不妊手術を提案、拒否すると退所」ってニュースがあり。
正論ではとんでもない話だけど、他所の産ませてくれた事業所の、その子供の支援の話を最近聞いて正直ゲンナリして。
記事にある「成長した子どもが『なぜ生まれたんだ』と言った時、誰が責任を取るんだという話だ」
って話はリアルな話だなと思ってしまい。
リアルと言えば、
楽になりたいのなら「周りじゃなくて」「自分が変わる」のがてっとり早いとやっぱり思う。
残念ながら「個人モデル」だよね、ハンデ持ちでも戦えって話。
「個人モデル」と「社会モデル」の話は何回も書いていて、
SNSのお陰で?ここ10年で周知は広がった気は凄くする。
世の中の効率化が進んで、「(隠せなくなって)悲鳴を上げるしか無くなった」かもしれないけど。
吃音持ちである娘のカラカイから北海道言友会に入会して
「吃れる環境づくり」をイメージして旭川例会参加して、意図的に吃って引き出そうとかもしてるけど、
自分含め、「吃りたくない」の圧力はそれぞれにあって。
「吃音持ちだけ集まりたい」って未だに散見するけど、なんでだろ?
それだけ世間は冷たいって事なのかな?それとも配慮とかのバイアス掛かるのがイヤとか?
むか~しから吃音は知られていて、困ってる人も多く、
日本でも徴兵制の時は白日に晒されて矯正もされた話もあり。
(そいえば徴兵制のある国の最初の検査で吃音持ちの扱いってどうなんだろ?配慮されるんだろか.....)
世間的に「大した事ではない」と思われてるから支援が広がらないのか。
原因不明だから支援が広がらないのか。
今ふと思ったんだけど、吃音の支援が広がらなかったのは
「吃りは大した事ではない」を思わせる、吃音持ちが沢山いたって事ではないかなと。
大事だと思ったのでもう一度。
「吃りは大した事ではない」を思わせる、吃音持ちが沢山いたって事ではないかなと。
更に話がとっちらかりますが。
REDSの監督さん、今年から新監督で。
昨年監督だったのリカさんの手法は
「相手の良さを消す(相手を分析し、対策をする)」
「リスク管理は最大限(基本7人で守る)」
引き分けの山を築き、契約解除になってしまいました。
「選手を準備できなかった」「コロナで新外国人が入国できなかった」とかの残念な事もあって、
「監督が悪い」って事は無かったけど、「面白くない」とも思って。
これって吃音に例えると
「準備して吃らずに話せてるけど、気持ちを出せないので友達ができない」
に近いんじゃないかと。そんな人生つまらなくね?
新監督さんは守備は3人らしい。リカさんの7人とは大違い。
攻撃はパターン化されてるようだけど「可能性があれば攻撃」なんだとか。
まだREDSでの試合見てないので、キャンプレポート読んでの妄想でしかありませんが。
その「可能性があれば攻撃」ってのが「吃ってもいい、話したい事話す」と変換してもいいじゃないのかなぁと。
楽しくない?そういうの。
世の中の「吃音大したことない説」は先人の「この人吃るけど、いい人」が作り出しているのかなと。
「いい人」と思われるのって吃音関係ないような気がする。
達観するのも自己保身のためにいいとは思うけど。
熱くなってみないか?
自分を実験台にしてやりたい事やってみないか?
とか思うわけ。
テクニック使いまくりで友達も全然いないけど、家族がいて、仕事でもそこそこ評価されて、
家族や仕事以外でも何個か繋がり(吃音も繋がりの1つだな)もある自分が、時間潰しで吃音の事久々に考えたらこんな事になった。
時間が環境が変わればまた変わると思う。今はこんな感じ。