表題な事で気持ちが楽になった事もあるし、悔しく思う事もある。
自分は測量士の資格持ってて、測量会社勤務時代は現場も行ってるのだけど。
近視と乱視で視力0.3以下なので普段眼鏡なのですが。
今の測量は人工衛星使うんだろけど、測量ってトランシットっていう望遠鏡で目標覗くのね。
それで覗くと精度低いのでも200m先の釘が5cm幅位にみえる装置なんだけど。
自分は乱視の影響もあって、視準誤差が出て、精度の高い、基準点的な仕事は任せられなかった。
そんな訳で「どもりのせいで○○諦めた」ってある意味ショウガナイと諦めてもいいのかなと。
俺も「近視乱視のせいで測量士極めるの諦めた」って。
んで測量会社で地図関係、んでGISで儲けたる!って埼玉時代だっただけど。
そういう事言えば、親父は電気工事士で現場監督だったけど、
俺が中学の時、病院で「体液の粘性が高いので関節がボロボロ。野外の仕事続けると数年で歩けなくなる。」
と現場監督の仕事、ドクターストップ。
俺も弟も検査されて「御子息も内勤の仕事を進め」という結果に。
ちなみに、
親父の会社は内勤の仕事用意してくれたけど、退社して、職訓行って溶接の資格とって再就職。
死ぬ直前の仕事は石炭火力発電所の解体工事(の一部だけど)現場監督になった。
親父を全然越えてないなぁ.....
「どもりで○○諦めた」って○○が「人生」でなければいいと思うンだな。
自分ができそうな事をやれば言い訳で。
正直、しゃべらないで稼げる仕事も探せばあるんでしょ?
までも、職人と言うか、しゃべらないと給料高い仕事は難しそうだけど。
「どもっても伝わればいい」と開き直る。恥ずかしいのも慣れれば鈍感になる。
直らないんだから受け入れる(諦める)しかないんじゃないかの。