吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

叫んだほうがいいのかな「吃音、言葉が出ないって死ぬほど辛いんです」って

facebookまじで使い方覚えないと...残念な使い方しかしてないようだ....


否定から言うべきか、肯定から言うべきか。

先生が呟いてたのとfacebookで書いてたのと。

今までは、マスコミだけではなく、吃音のある人自身が”美談”を好んで広げてきたと思います。

美談の功罪か。軽くなっちゃうもな。
例えば自分が万が一取材とか受けちゃったら「あっけなく親父が死んだのがきっかけで腹くくったとか、打ち込めるもの(浦和レッズのサポ活動)に出会えて吃音はどうでもいいものになりました」とか言っちゃいそうだもね。

今でも「同程度の吃り具合な吃音持ちさん達なら自分同様なんとかなるのでは?」
って思ってるし(その程度の吃音持ちが多数派なんだろし)、例会とかで言っちゃうけど。
その考えは危険なんだろな。

吃りの程度、吃音持ちさんの家庭環境もあるし。

前に旭川での中高生イベントの企画?な話で
山川先生が「親の自覚、覚悟が足りない」って呟いてたのと今回の南先生のと。

きっかーずの時に子供達を遊ばせて保護者だけの別の場所で情報交換してた時に、
なんかの弾みで「吃音でいい事なんて1つもない」って声を荒らげた時があって。
皆さん顔が引き攣ってたな。

吃音が発端で社交不安障害(SAD)、人生に希望が持てず、自殺。

その苦しさを吐き出してください。

決して恥ずかしいことではありません

難しい、本当に難しい。

「一緒にすんな!(俺は何とかやれている)」って気持ちは無くはないな。
でも
「不安」に共感することは吃音持ちなら重い軽いに関係なく共有出来るはず。

マスコミは時間も紙面も制限があるし、売れるためには美談のほうが取り上げやすいしね。
でも啓蒙には利用するべき媒体だ。(この議論レッズでも散々やったな)

現実に困ってる吃音持ちがいる。人知れず自殺してる吃音持ちがいる。


自分がやるべき事はうちの子達の不安を少なくさせる事。
具体的には自分が吃音を受け入れた22歳より前に受け入れられるように。