twitterから
我々支援者は、やはり子どもらが社会に出るところまで、できる限りのサポートをしていくべきでしょう。場合によっては、入学先、入職先に契約時の誓約として、特性に合った対応を義務づけ、なされない場合は契約違反とみなし裁判…このくらいの対応が必要になるのではないでしょうか?些か乱暴ですが…
— 光の森コミュニケーション相談室ひなた (@nikohina55) 2013, 11月 29
自分も吃音持ちとは言え、
吃音持ちのうちの子の事を真に支援できるか、本当に支えられるのかって難しく思います。
極論すると「支援、親の期待に応えられず苦痛で死にたい」って場合もあると思う。
本当の支援とは?
吃音者が生活しやすく成人しても社会人生活ができるようにするには、法律による障害者認定しかないなと考える。私自身約一年半前に発達障害があることも判明した。障害者と認定されると社会的支援がしっかり用意されている。その社会的支援を駆使しても生活できなければ生活 #吃音 #見えない障害
— hideyuki (@hide_yuki7) 2013, 12月 9
生活できなければ生活保護も利用できる。だが、現状、吃音者に対する社会的支援は自助グループ以外では皆無である。ハローワークに行っても病院に行っても、「障害者とされていないから」この一言で詰む。この現状を変えなければ悲しい思いをする吃音者はこれからも出るだろう #吃音 #見えない障害
— hideyuki (@hide_yuki7) 2013, 12月 9
自分は
「頑張れ」って鬱の人には傷つく言葉なので言わない
位に
・「ゆっくり話せ」、「落ちついて」も傷つける言葉になる事がある
・電話なら、最初無音でも少し待つ
が世間に広まれば、それだけでかなりな部分OKなのだと思う。
障害者認定されればそれは素晴らしい事だけど。
着地点をどこに置くのか。
40年も前から色々やってたようだけど、100なんて非現実的だ。
どちらも否定ではないですよ。
波を立てる1滴、波紋と言うか、そういうのとしての話。また怒られるかな。