まぁ、みんなが社会が吃音に配慮してくれれば「場」が無くなってもいいんだろけど。
「吃音」って言葉でなくて「どもり」でいいと思うんだけどね。
このほうが社会の周知認知早いと思うし。違和感あるって人もいるんだけど。
twitter、ココに貼る時ワンクッション増えた。面倒だ。
今日のNHKバリバラのテーマは吃音。この番組に登場する障害としては、「軽い」ものとも言える。いや、本当は軽いもののはずなのに、当事者と家族の悩みを大きくしてしまっているのは、私たちだ。 #baribara
— 碓井真史 @ 心理学「こころの散歩道」 (@usuimafumi) 2014, 2月 14
. @hirolotto はい。おっしゃる通り。ただ、どんなに重くても障害者手帳はもらえない吃音。少しこちらが待てば、本来問題はないはずなのに。周囲の対応、社会の対応が少し違えば、当人と家族の悩みはずっと軽くなるはずなのに、と思います。
— 碓井真史 @ 心理学「こころの散歩道」 (@usuimafumi) 2014, 2月 14
正直、イラっとしたけど自分も違和感を感じるのでね。
吃音にも重い軽いがあるので重い人には障害者手帳発行や「障害者差別解消法」の積極的な運用とかあるとね、かなり周知が進むのではないかと、期待しております。
(障害者手帳貰っても役に立たんって話も読みましたが、それでも)
残念ながら吃音持ちになってしまい、うちの子供達もそうなってしまって。
実際上の子は吃音のせいで周りとのコミュニケーションを自分から制限してしまっている。
それも性格とか甘えとか個性って切り捨てる人が何千万人もいるけど、
吃音持ちとしては甘えではなく切実な問題で周りの理解が進めば軽くなるのは間違いなので
やれる事人寄せパンダでいいけどやってきたいっすね。
ネット社会って便利になったけど、ムラ社会再構築って言うか新ヤンキーって言うか、新地元主義って言うか働く自由度が減ってコネ社会?偏見が助長されてる気がするんだよね。
低学歴、低収入で小中学校時代からの友達と一生つるむ的な。
その学生時代からの友達関係が維持強調されるなら、その時代一番悩まされる「吃音持ち」の居場所はますます無くなっていうように思い。
されどネット社会。
親父のお通夜で22歳で吃音に諦めた吹っ切れて、人間関係を再構築、広げられた自分としては
ネットにひっかかる場を維持すれば吃音持ちの子供達をもっと楽にできるのではないかと。
人生にマニュアルはないんだけどね、提示はできる、生き様って偉そう。
まぁ、地元のJクラブに乗っかってみない?って話なんだけど。