吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

10年前?の吃音資料を再び読んでみた

上の子の先生の家庭訪問が4/23に決定。
それまでに資料作らないと。
今でも十分に配慮されてるけども。

ずっと引っ張ってる「吃音とハゲ」話。
読んだはずなのに検索出てこないなぁと思ったら「薄毛」だった。
吃音が軽度な人には当てはまる話かなと。
読み返すと全然触れられてなくて、なんでこんなに憤慨したのか、今となっては判らない。
これです

https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-213/b-213_3.pdf
3人なのだけど引っかかったとこは最初の話
吃音問題について
吃音のある子どもの自己肯定感の形成をめぐって
-関係性の中で作られる自己への支援という視点から-
吃音のある子どもの自己意識と自己肯定感を高める支援

んで当時の自分の反応(このブログ無かったのね)
クソ真面目な文献で「吃音と薄毛は似てる」とな - REDS&日常とか〜赤くなったもん勝ち〜


隔世の感と言うか。


改めて「ジョンソンの吃音立方体」
・症状の程度
・周りの反応
・本人の心理的反応
の3軸って事で。
どれかの軸が0に近づけば吃音の悩みも0に近くなる理論。


先生には「上の子の吃音は治らない」「なんでもいいから成功体験」を軸にかな。
でも結局は「本人の心理的反応」に尽きる。
自分の表現では「諦める」言い換えると「受け入れる」


上の子には3年生の時「もう治らない」って言って泣かせたけど
「治るかもしれない」と言ったら「今の自分は本当の自分ではない」って
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になるかな。
自分は特に10代の時は「どもり治ってない」って毎朝がっかりしたけど、
上の子も今その真っ最中なのかなぁ。


そう、自分やうちの子達の吃音って「案外」で片付けられるどもり具合だと思う。
でもその「案外」で就職出来なかったり、友達できなかったり、死を選んだりする人もいるんだけど。