自分は娘が小4で日直で声が出なくなってから「発言の場は出来るだけやらせて失敗も経験になる」「失敗できる環境で発話できる努力をさせる」
って言い続けてきました。
その集大成が卒団式であり、卒業式だと思っていたのですが結局自分の望む「吃りながらでも言う」は出来ませんでした。
「(選択性)場面緘黙」という吃音に近い障害を知り、「キラキラ」で「言えなくても(それで精神的に安定するなら)いいじゃないか」「本人だってどうすれば良いか判らないのだから」との考えにも触れ、ことばの教室がない中学校でどうすれば娘が「言える言えないの恐怖心」を減らすことができるか。
小学校のコーディネーターさんが中学校のコーディネーターさんと繋げてくれて一度会って娘についてお話をしています。中学校で吃音啓発に関する資料も提出する事になっています。
娘は吹奏楽に入っていました。娘を成長させてもらえました。
卒業式後に卒業生が在校生のトンネルを通るのだけどその際に在校生から卒業生から吹奏楽のパートごとなのかな手紙のやりとりをしていて。
娘も手紙を前日まで毎日遅くなるまで書いてた。
娘は大勢の前では言えないのだけど周りの子には話し掛けていたようで、「いつも話しかけてくれてありがとう」とか「娘が言うなら言うこと聞く」って子もいたとかで。
いい経験されてもらってるなぁと。
自分は家族の病気もあったりで小中高と基本帰宅部。夕飯作ったりしてた。勉強以外で一生懸命って上京しての浦和レッズのサポ活動に加わる、24歳までなくて。
正直、娘のほうが俺より濃密な人間関係を築けているのだろうなと、羨ましく思う。俺は終始、一人だった。遠足とかの班決め、毎回毎回不安だった。
娘は習字が好きで冬休みに「1文字大文字書き初め」に参加して選んだ文字は努力の「努」
半紙に貼ってある選んだ理由を書き出すと
この一年、どんなにうまくいかなくても、わかってもらえなくても、
決して努力を忘れないでしょうと思ったからです
と。
多分娘は吃音に関しては「吃りたくない」は重要ではないのではないか。
今問題は「大勢の前だと喉に鍵が掛かったように声が出ない」吃音と言うより「(選択性)場面緘黙」
かんもくネット〜場面緘黙とは〜
資料、小学校コーディネーターさんが転校のようなので早く作らないと。娘に確認し小学校に提出か。
一般的な物と、「娘は努力してるし話したいと思ってるのに現状話せない」を含めた担任に特化した資料。う〜ん