20歳前後なんていう時期が、恐らく一番ドモリを気にする時期じゃないかな。人間は齢とともに図々しくなっていくから、相談者もいましばらくはドモリが辛いかもしれないが、いざ働き出したら日々新しい驚きと苦労と悩みと喜びに直面する。変な言い草だが、ドモリどころじゃなくなる。気が付いたら、寿司屋のカウンターでつっかえながら「トトトロをください」と注文することに抵抗を感じていない自分を発見するだろう。
ここにも貼ったと思うけど検索で見つからないので貼る
前にも紹介した記憶がある
— sadakiti (@sadakiti_REDS) 2016年8月17日
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[316]全吃音者に「意識は稲妻、舌は蝸牛」を捧げる https://t.co/DOp4ZkQ0Ap
開高(健)文豪が俺に送ってくれた名コピー「意識は稲妻、舌は蝸牛」だよ。頭に次々と言葉がひらめく速度に舌がついていかない。つまり、ドモリは発想力が豊かで、言語能力が高い証拠だと思えばいい。
人類の約2%はドモリだと言われている。この割合は人種や言語を問わずほぼ一定だそうだ。ということは、全人類の中に等しく「ドモリ遺伝子」が組み込まれているのだろう。その遺伝子が人類10万年の歴史を生き延びてきたということは、ドモリには何らかの有用性があったということになる。生存戦略上、不利であればこの遺伝子はとっくに淘汰されているはずだ。
集英社の俺のずっと後輩であるチカダタクロウは、苗字も名前も苦手なタ行から始まるものだから、集英社の採用面接のときに「イカダアクロウです」と名乗ったんだ。こいつも見事に入社試験をパスしたんだから、集英社はドモリに寛大な会社だな。それにしても、かくのごとくドモリは名前でも苦労するんだよ。
情熱は吃音のネガティブ感情を無効化できると自分も思うけど、症状の強弱は絶対あると思う。
自分みたいに「隠そうと思えば隠せる人」ならば、こういう考え方はアリと言うか、有用だと思う。自分もそうだった