映画「英国王のスピーチ」amazonプライム会員は無料で観られるを発見しました。
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自分は当時レンタル借りて観て感動し、年末とかBSとかの録画して観て「吃音発症の告白経緯が気に食わない~」とかちょっとナナメな感じな感想に変わり。
なのでキッカケないと再びは観れないなぁって。妻や吃音持ちの娘達にも不評な感じで、家族で観てるの実際俺しかいないと思う。
で先週?ひょんな事で伊藤伸二さんがこの映画を詳しく考察して、講演とか授業に使ってると伊藤伸二さんブログで知り。
ブログ読んで自分はこの映画、吃音持ちの脚本家さんが詳細に調べ上げて丹念に「吃音とどう向き合うか」を描いてるのだなぁと思い、観たくなりました。
伊藤伸二さん(ここまで来ないと思うけど)考察ありがとうございます。吃音持ちとして、吃音持ち保護者として励みになりました。
そのブログ、主役のコリン・ファース好きのブロガーさんトコにインデックスありました。貼ります。
これがあって大変読みやすくなりました。ありがとうございました。
でそれぞれの感想や感動箇所コピペ
ネタバレが沢山出てきます。
万が一まだ観てなくて映画楽しみ!って人は絶対に読まないでください。
どもり(吃音)を理解し学ぶ、最高の教材「英国王のスピーチ」
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798041.html今年は映画「英国王のスピーチ」に学んで、吃音をどう理解し、吃音臨床や生き方にどう生かすかがテーマだった。「英国王のスピーチ」には、吃音臨床で大切なことがたくさん含まれていると、スタッフのひとりに話していたからだ。
準備のために久しぶりにDVDを観て、改めて脚本家サイドラーの、吃音の当事者ならではの視点に敬服した。たくさんの資料を読み、調査した努力の跡がよくわかる。
吃音臨床の記録映画だといえるくらいだ。
英国王のスピーチ 1 吃音治療ではなく、ナラティヴ・アプローチ
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798062.html映画『英国王のスピーチ』は、吃音の臨床に役立つ、大きな学びと教訓が詰まっています。
本人が語る物語がネガティヴであれば、その物語に捉われて悩みます。ジョージ6世は、「どもりは劣ったもの、悪いもの、恥ずかしいもの」の物語を繰り返し語ります。その物語には伏線があります。
ローグの献身的な、集中的な治療でも吃音は治りも、改善もしません。にもかかわらず、目標だった第二次世界大戦の国民に向けての開戦スピーチは成功するのです。
吃音に悩む人間にとって、治療者ではなく、友人が必要なのです。
どもらずに堂々とスピーチすることが成功ではない。不安をもちながら、おどおどしながら、嫌だ嫌だと思いながら、そしてどもりながら、なんとかスピーチをやり遂げたことが成功です。
英国王のスピーチ 2 どもり(吃音)の本当の問題とは何か
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798116.htmlヨーク公には、弱音が吐ける、自分が自分でいられる場がありました。ローグから対等を求められたとき、即座に彼は、家族は対等で、妻も娘もちゃんと聴いてくれ、吃音は何の問題もないと言います。吃音があっても人間としては対等だと言います。弱さを認めて、愚かな人間だ、自分は大した人間じゃないと認めるシーンがあります。
人が生きていく上で、嫌なこと辛いことは山ほどあります。弱音を、誰かに話したい。私はよく、教師や援助職のセルフヘルプグループ、弱音を吐ける教師の会のようなものがあればいいなあと思います。愚痴を言い合える仲間が必要だと思います。
そういう意味では、これは家族の支えの映画でもあったと言えると思うのです。
デモステネスも、ジョージ6世も、私も、人前で話せるようになったのは、吃音治療の結果ではなく、自然に変わったのです。ローグが治せると言ったのは、吃音症状そのものではなくて、吃音不安、吃音恐怖だったのです。
心の問題だと捉え、不安や恐怖へアプローチしたのです。なんか違う、モヤモヤするのですが自分の経験だと「遺伝なら治らない」と諦めた親父のお通夜から自分の人生は変わりました。
吃らないように話すのは変わらないのだけど、クヨクヨしなくなった。「吃ったらしょうがない」って思うことにして、話すことに逃げなくなった。
逆説的なのだけど「治らないと思って行動した方が治りやすい」って感覚があります。
英国王のスピーチ 3 吃音治療の歴史と、ローグの治療の基本姿勢
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798157.html吃音そのものではなく、彼の不安と恐怖にこそアプローチをしなければならないと考えたローグのセラピーに対する考え方は、的を得て、とても素晴らしいと思います。
映画に出てくる技法は、ビー玉を口に入れること以外は、全部現在でも使われているものばかりです。
ローグの孫が、ローグの日記やセラピーの記録を、脚本家のサイドラーに提供したことで、吃音治療の真実が語られることになりました。サイドラーは、アカデミー賞の脚本賞をもらいましたが、思春期までかなり吃音に悩んでいました。また、子どもの頃に、ジョージ6世のスピーチを実際に聴いています。自身の体験と照らして、セラピー記録をもとに、当時の吃音治療を詳細に調査して脚本を書いていますので、「英国王のスピーチ」に出てくる吃音の治療場面は、正確で間違いないだろうと思います
「私の役目は、彼らに自信をもたせ、“友が聞いている”と力づけることだ。あなたの場合と似ているだろう」
自信、自信.....
英国王のスピーチ 4 吃音の豊かな世界
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798239.html4月から始まった言語聴覚士養成の専門学校で、講義が始まる前に、「将来、言語聴覚士になる者として、英国王のスピーチから何を学んだか」の、2000字以上のレポートを義務づけることにした。ひとつの専門学校はすでに講義が終わり、もうひとつは第一回の3時間の講義が終わったばかりだ。今後行く予定の大学や専門学校でも同様にレポート提出を求めるつもりだ。
確かにそう言われれば、スピーチ直前まで話せず、焦りに焦っていたことを思い出しました。映画を観ていた時は、そこまで、考えが至りませんでした。説明、解説を聞いて、いろいろと気づけたことがありますので、改めて、もう一度観たいと思います
レポート提出素晴らしいと思います。是非是非広がってほしい。自分も気づかなかったけど、開戦スピーチまでの5年ローグと練習してるのよね。
英国王のスピーチ 5 人が変わっていく要因
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798242.html人が変わっていく要因の全体を100%とした場合の数字です。
①特殊なスキル 15パーセント
②期待効果 15パーセント
③セラピストとの関係性 30パーセント
④セラピー以外の場 40パーセントこれは心理臨床の研究ですが、
自分を苦しめている問題が、どう自分の人生に影響しているかを一番知っているのは研究者や臨床家ではなく、本人です。
吃音の取り組みは、失敗して当たり前、しくじって当たり前なのです。だからしくじったら、ごめんなさいと謝って、悩んで落ち込む。対等ということは、一緒に落ち込み、一緒に悩み、一緒に失敗し、一緒に成功する。その中で一緒に何かを探し出していく。その姿勢が、対等であるということです。
弱さや劣等感をもっている仲間として対等で、一緒に歩んでいく。これが僕が言う対等性です。
あまりコピペ出来なかった。
コピペしながら思ったたのだけど、この映画って「成人の吃音持ちへのアプローチ」だもね。成人の吃音持ちってそれまでの劣等感の払拭だったり、話すテクニックの伝授、実践してスモールステップ、自己肯定力の底上げとか大変だ。劣等感・二次障害が少ない小学生までの訓練次第で吃音改善可能なうちのアプローチとは別に考えたほうがいいのだろな。高校生以上と言うか小学校高学年以上ならば伊藤さんが書いてることは納得できる感じがする
英国王のスピーチ 6 どもる、どもらないより、語るべきことばがあるか
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798252.html「そうとも、あなたは忍耐強く、誰よりも勇敢だ。りっぱな王になる」
字幕には、「私には王たる声がある」とありますが、公開前の宣伝映像の字幕は、「私には伝えるべき言葉がある」でした。これが吃音の臨床の眼目です。
真実の言葉を語るときは、どもった方がいいと世界的作曲家の武満徹さんが名エッセー「吃音宣言」の中で書いています。詩人の谷川俊太郎さんとの対談で、僕が女性にもてた話をしたときに、「どもる人は、誠実だと誤解されるんだよね。とつとつと話す言葉に真実がある」と言いました。
どうしてもしゃべりたいことがあれば、どもる恥ずかしさや恐ろしさを超えて、人は話していくだろう。そして、それが結果として言語訓練にもなる。どうしてもしゃべりたいという気持ちが出るような、生活の質、充実した生活をいかに送るかが大切で、その中でしゃべりたい内容を育てる。それが大切なんじゃないでしょうか
一方、どもる私たちやどもる子どもたちが苦しいのは、このように、重要な、伝えるべき言葉だけではないことも知っておいてほしいことです。
作家の重松清さんも「語りたい言葉でどもるのはいいが、どうでもいいような言葉でどもるのは嫌だ」と言っていました。
語りたい、語らなければならない言葉は、どんなにどもっても語る。どうでもいいような言葉は、伝わりさえすればいい。このように柔軟に考えることが、吃音と共に生きるということです。
サバイバル・柔軟は同意自分の行動、発話も「意味が伝わればいいや」なのでそれに近いと思う。でも強制されるものではないと思います。
喋りたくない時は話さないでOK、の周りの理解が欲しいです。「合理的配慮」社会モデルって書いていいか判りませんが、でもそれにはカミングアウトが必要だと思う。周りに言える(言えないならサポート無くても大丈夫って自己肯定)努力がハンデだなと。伊藤伸二さんの言う「吃音肯定」ってどういう意味なのだろか?
英国王のスピーチ 7 ナラティヴ・アプローチの実際
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798253.html開戦スピーチの成功は、「どうしようもない王」という吃音否定の物語を、ローグを中心とした周りの人の力で、「やればできるかもしれない」という吃音肯定の物語に変えたことにあります。
ジョージ6世は、「どもっていては人から好かれない」「どもっていてはスピーチの成功はない」「どもっていると人は聞いてくれない」の物語を、子どもの頃から作り、自分で語り、それに捉われて、どもっていたら何もできないと思ってきました。
親などから影響を受け、世間から影響を受け、自分自身で語り続けてきたのです。この吃音に対するネガティブな、悲しい苦しい物語を、新しい物語に変えたのが、この映画なのです。誠実であれば、責任感があれば、どんな場であっても、どもっても出ていける、人間として成長できるという新たな物語を語ることができたのです。妻も、父親も、チャーチルも、ローグも、再三「あなたは、王になる資質がある」と言い続けた言葉がだんだんと身に染み入っていったから、ジョージ6世は、最後の土壇場にきて、「たとえ、どもって立ち往生しても大丈夫。最後まで読み切ることで、自分の王としての責任をとることができる。立派にできる」と、どもる覚悟ができたのです。「失敗したら失敗するまでだ」と腹をくくることができたのは、周りの人の力を借りながら、新しい物語を、ローグとジョージ6世が、一緒に作り上げてきたと考えることができます。
ディビッド・サイドラーの見事なシナリオです。 どんなにどもっても、聞いてもらう権利が私にはあると、
「頭を空っぽにして、私に話しかけろ。私だけに、友達として」これがどもる人の話すときのポイントです。
会場の中のこの人に話そうと焦点を当てます。頷いてくれている人や優しそうな人を探します。その人一人に向かって話します。聞き手にはどもっていないように聞こえますが、本人としては、どもっている意識はあったと思います。ブロックの状態にあるのが、絶妙の間となって聞き手には伝わっています。どもった瞬間を、間として生かしているのです
劣等性、劣等感、劣等コンプレックスの三つの違いを言ったのは、アドラー心理学です。
ジョージ6世を演じたコリンファースは、インタビューに応じて、ジョージ6世をとても勇敢な人物だったと語っています。
「彼自身は自分のことを勇敢だと思っていなかっただろうが、いざとなれば臆することなく恐怖に立ち向かったんだからね。国王になるよう育てられていなかったにもかかわらず、兄が王位を捨てると、黙って王位を継ぎ、決して運命を呪ったりしなかったんだ」どもる子どもが、流暢に話せないことに劣等感をもつとしたら、劣等感や自信について子どもと一緒に、考え、話し合うことが必要です。表面的な、運動や勉強ができるなどよりも、信頼や責任感、誠実さの方が、人間の本質的に価値があることを知ってほしい。
吃音持ちとしてと言うより、吃音持ちの娘がいる親として「信頼や責任感、誠実さの方が、人間の本質的に価値があることを知ってほしい」の言葉は重いな。吃音の欠点を補う何かを身につけさせたいって思い・想いが凄くあり。でもそうではないとハッとしました。反省。