文春ありがと~吃音当事者インタビュー記事が素晴らしい
文春オンラインでバイデンさんを導入に吃音当事者インタビューの記事。素晴らしい。
このブログにある
「コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です」
って横井先生のお話に感銘してコピペしたんだけど、この記事はその事が書いてあって、いい記事だった。
このweb記事ずっと残ってたら嬉しいなぁ
しっかりした吃音啓発記事だった。文春ありがとう
— sadakiti (@sadakiti_REDS) March 17, 2021
「バイデン氏はスピーチで「オバマ」と言うべきところを「マイボス(私の上司)」と言い、「バイデンがオバマの名前を忘れる」という趣旨の記事(*)になったことがあります。」
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抜粋
――バイデン氏はスピーチで「オバマ」と言うべきところを「マイボス(私の上司)」と言い、「バイデンがオバマの名前を忘れる」という趣旨の記事(*)になったことがあります。
ぽん 名前を忘れたわけではなくて、「オバマ」と言えなかったから、「マイボス」という別の言葉に言い換えただけなのかもしれません。
――なるほど。『どもる体』(医学書院)という本では様々な吃音者が登場しますが、「ディズニーシー」を「ナントカシー」というふうに言い換えて苦手な単語を回避するために、普段から「適当キャラ」を装っている、という方が登場しました。ぽんさんも、吃音が社会的人格に影響を及ぼす感覚はありますか?
僕も吃音者だと伝える時に「(あなたが吃音者でも)私は気にしないから」と言われることがあるのですが、少し違和感があるんですよね。困っている人がいる、という状況に対して、自分は関係ない、と線を引いてしまっている感じがする、というか。
ひょっとしたら、目の前にいる人の吃音が障害になるような世の中を、自分も作ってしまっている側なのではないか、という気持ちをどこかで持っていてほしいんです。吃音って、話し手と聞き手の関係性の中で障害の側面が生じてくるものだと思うので。
ぽん氏が挙げた漫画では、一人の少女が主人公に「喋れないんなら紙に書けばいいじゃん」と言ってペンと手帳を差し出したことから、全ての物語が動き出す。コミュニケーションとは聞こうとする人が存在してこそ始まるものだ、ということが端的に示されている。