吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

小4の道徳の教科書に吃音持ち風のネタが残念だった話。

鍵垢さんがUPしてて、これは残念共有しないとって自分もツイートしたらこんなになってしまって。
ここまでのカウンターは、twitterでは初めてでビビリました。
REDSブログでは有名人さんにリンク貼られて桁が違う~ってあったけど。

鍵垢さんが出版社に問い合わせて、令和6年改定に間に合うように専門家交えて一緒に修正する事になったと知らせてくれました。


共感できる事たくさんありました。


読んでほしいの貼ったった。

道徳の授業だからこの文から考えることが教科書端に書いてあった

公平な態度とは

○考えてみよう
「わたし」が思い切って立ち上がり、手に力を入れてみんなに向かって言えたのは、どんな考えに動かされたからかな。

○見つめよう、生かそう
友達みんなに分けヘだてなくせっすることができたことを思い出してみよう。どんな考えで接しようとしたのかな。

問題だと思ったのは最後のトコ

「ちさとさん、すらすら言えるようになったね。」
「最初は、ちさとさんには、絶対無理って思っていたけれど、これなら大丈夫。いい劇になりそうな気がしてきたわ。」
と、学級のみんなが話しているのが聞こえてきました。私はちさとさんを推薦して良かったと思いました。

実際、繰り返し練習する事である程度流暢性は増します。ちさとさんは凄く努力している。
どうやら今回は努力が報われて良かったけど、報われない事も多いのが吃音の厄介な所。

努力が報われない時にどう接するかの授業だったらありがたい。


ちさとさんの居場所、このクラスにしっかりあるのだと思う。
「吃ってもいい」ってそういう環境。
立候補できる環境で、皆が「無理~」って言える。
ちさとさんの吃りはある程度受け入れられてて、個性だと思われてるってこと。
なので、もう一声というか、努力する姿を評価するラストがいいと思いました。どう変わるかな。

までも
「私はちさとさんを推薦して良かったと思いました」必要か?考えさせる授業だから必要か。
でも自分的にはこの文章が一番腹たったです。
「私は(すらすら言えるようになったから)ちさとさんを推薦して良かったと思いました」
に変換しちゃって。


確かに劇や卒業式とかのセリフは随分苦労しましたよ。
放送部とかに入って率先して裏方に回って逃げてたなぁ。