小説読んでまして。
「顔は覚えてるんだけど名前が覚えられなくて」
「それって名前覚える気が無いからだよね?」
ってトコがありまして。
ああ~~~~と。
1名前を聞く→自己紹介率高し→自分の名前をスムーズに言うことで気持ちがいっぱい→相手の名前を覚えられない
おお~~~~と。
2どうせ俺なんてどうでもいい→他人とは距離を置きたい→相手の名前を覚えられない(覚える気がない)
「名前が言えない」を隠すために忘れたフリってのは関係なく(笑)昔から人の名前を覚えるのが下手でした。
なんでかなぁと思っていて。小説のフレーズで「ハッ!!!」となりました。
上記の2つが思い浮かびまして。吃音のせいで性格が歪んだのが原因かなぁと正直思っています。
A。単純に発話でイッパイイッパイ、相手の名前を覚える準備が出来ていない(吃音直接の原因)
B。1人のほうが楽、だからあまり人と関わりたくないので覚える気が元々ない(一人の方が楽って吃音が邪魔してるから)
C。覚えても話しかけないし、相手も覚えていないだろう(自己肯定力が低い→これも吃音で削られましたかね)
この、「名前を覚える気が無い」「人と関わりたく無いから」ってのは自分にはしっくりくる理由で。
吃音持ちじゃ無かったらもっと覚えが良かったかなぁと正直思ってて。
本当は吃音関係なくて、吃音のせいにして楽な方に逃げてただけなんだろけど
埼玉に住んでた時、REDSサポとして各スタジアムに参戦して、REDSサポ以外の人とも交流があったのだけど、
代表サポさん(今でもとても有名な方)で「1度覚えると名前忘れない」って方がいて。
実際、代表戦でしか会わないのだけど俺の名前をしっかり覚えていて(相手は有名人だから流石に俺も忘れない)
凄いなぁと本当に思った。
そういう方って数名遭遇していて。覚えるコツとかは聞いてないのだけど、そもそも覚える気が無いと覚えないよね。
なんで、もうすぐ53歳の今でも、覚える気が薄いのかなぁと。「話掛けないで」って思ってるからかなぁと。
自己肯定力とは違うトコロな気がする。「まぁなんとかなる」の延長線上に「名前を覚えづらい」もあるのかなぁとか。
実際10代20代の時は発話に余裕が無くて、周りの話聞いてなかった、覚えて無かったなぁと思う。
吃る事にあまり気をつけなくなった30代以降もあんまり変わって無い気がする。
「吃ったらしょうがない」ではあるけど「基本吃らないように振る舞う」だから、結局余裕がないのは10代の時と変わっていないのかな。
「知らない人と関わるのは基本イヤ」吃音持ちで苦労した10代で形成されたこの性格、
改善された(基本逃げなくなった)と思うけど、根本は変わってないよなぁと。親にも会いたくないし。
んじゃ「名前をじゃんじゃん覚えたいかい?」となると尻込みしてしまうし、それは違うというか辛いっす。
吃った時と同じで「名前忘れてもまぁなんとかなると思いたい」。全てこの感じかなぁ。「やり直しできる」ってユルイ考え方。
良いのか悪いのか。ユルイって事は自己肯定力あるんだろなぁと思うけど。
自己研究でした。