吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

お節介と押し付け。大げさに言うと支援の考え方に繋がるな

この前の旭川例会で吃音に自分が耐えられないって方がいてですね、
南先生に「先生が考える流暢性向上の方法を具体的に」って振ったのだけど「その人から要請されないとお答えできません」って返答で。
本人がどうしたか、周りの状況は、本人の具体的な困り感とか、ざっくり定型で「吃音の軽減方法は〇〇」とは言えないと。
そのクダリで
職場の同僚とのやりとり、そして小説「きよしこ」の後半部分にある、女子大生とのやり取りの件が浮かんで。


職場の同僚は背が低いので高いトコにある書類を使いたい時は近くの椅子を持ちだして出し入れしてる。
「一声掛けてくれればやりますよ」って都度言っていて。
実際そういう人もいて、高いとか重いとかだと呼ばれて対応。
もちろん全然苦じゃなくて、コミュニケーションの一環と言うか「仲良くなれて嬉しい」「あてにされて誇らしい」って感覚で。
でも、その人は頑なに椅子を持ち出して一人で危なっかしく書類を出し入れしてる。
近くにいる自分としては「何で声かけてくれないのだろう」「信頼されてないからかも」とネガディブな気持ちになる。
だから、「やりますよ声掛けください」って言ったりもするのだけど、それって同僚の気持ち無視で、自分の気持ち優先で行動してるよねって。


多分、同僚は「一人でやるのが当たり前で、それ以上でも以下でもない」のだと思う。
見守りって言葉は高飛車発言で、当然見守りなんて不要で、気にする必要ないんだろな。


「言友会参加して”老害”に会った」なんてツイートも見るけど、老害の人は自分の経験を良かれと思って言ってると思うけど
それって相手の気持ちを無視した、自己満足だから”老害”って言われてしまうのだろな。


書いてて思ったけど、自分がやってる「サンプルとしておっさんの吃音持ちの経験を伝える」ってゴリ押しになってないか不安になってきた。
ゴリ押しにならない伝え方ってどうしたらいいのだろ.......