吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

南先生を偲ぶ形で自分のダメさをダラダラ書く

娘達が精神的に安定してるっぽいので、
吃音に関する活動というか時間を確保する事が優先では無くなってしまい。

1年前の科学雑誌の吃音記事にはガッカリでしたが、
「別冊日経サイエンス」吃音ネタ読んでガッカリした話 - 吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ
最近はサラリン(@kitsutsukiman)さんのアプローチに希望を見出してると言うか、
note.com
「やっぱり脳に書き換えてもらわんと無くならない」のかと。
別の言い方だと「頑張った人にはご褒美がある」のかなと。


今気付いたのですがここで書いておりませんでした。
大変お世話になっていた南先生が亡くなった事。昨年11月でした。


呟いてはいた

南先生の功績とか人柄とは別の方が書いたものや北海道新聞や全言連の追悼記事で読んでいただきたく。

自分の中では「北海道言友会=南先生」でして。今もそうかな。だから熱入らんのかな。
お会いしたのが長女(当時小2)の相談で旭川ブロック例会に奥さんと参加したのが最初。その長女は今大学3年生。
それから旭川の例会には基本顔出して、たまにだけど出張とかイベントとかで札幌例会やマンデーナイトに顔出して。
北海道言友会の宿泊イベントも定山渓とか数回参加。全国大会も大阪での1回だけ参加。
旭川ブロックの運営にもガッツリ関わらせていただいた事も数年あり。
そんな感じで10年以上北海道言友会を通して色んな方達とお会いしましたが、
正直、身になってない、広がっていない。
勿体ないって改めて思う。どうやったらもっとお近づきになれたのかな。
「世間知らずの自分とは世界が違う~」とか萎縮しちゃうんだよな。それこそ経験がない。浅い。
55年生きてて、身につくであろう常識がないと思うんだよな。

吃音で出会った方達と距離があるのは「吃音で今は困ってない」からかなぁ。当事者というよりは保護者。


吃音由来の「人見知り」は大いにあると思うし、友達以前の知り合いを増やすのも苦手。
人見知りは言友会絡みだけではなく、子供達の学校関連とか職場とか、近所付き合いも。
「必要じゃない」からかなぁ~環境が変われば変わる、対応できるかな。


南先生のお通夜(前夜祭)には沢山の方がいて。
でも顔見たら終わりみたいな感じで順繰りで参列と言う感じで。
知ってる方には声掛けたし、声掛けていただいたりしたけど。
「急いで帰りたい」みたいな気持ちになってしまい、長居はしなかった。
今になって思えば、別の場所で集まるのに混ぜてもらうとか(喫茶店とかで追悼とかあったはず)
家族で参列したけど、奥さんや娘達はもっと顔売ると言うか、顔見世していれば良かったかなと。
旭川ブロックで纏まって参列するとかね。早々に車で行くことにしちゃったし。

友達知り合いが少ない(いない)事に特に不便は感じないのだけど、
「仕事で忙しい~って感じ」も人と関わらないアリバイ作りなとこも大いにあって。
ダメだなぁ~と改めて。
金遣いが荒いので肝心のイベント参加用にお金残ってないってのもある。
結婚前はREDSにくっついてた人生だったので全然お金貯まらないままでUターンしたし、車買って貯金なくなったし。
結婚後は娘達の(今なら教育費)に回さないと~って。
そりゃ、REDSのACL韓国での試合とか、岡村ちゃんカーネーションのLIVEとか札幌公演位は無条件で参加したいけどね。
色々理由つけて、現場での体感はしばらくお預けかなぁって、時間がない金がないなんて言ってるの、ダメだなぁ。

ダメだなぁ。