吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

旭川例会4月はそれぞれの発話テクニック語り合い~REDSの試合を見て「過程」を問う~

2時間時間が空いて、ひさびさにブログ書こうかと。前の1時間でサッカー系ブログについやし。

さてこちらでは。
家族の近況も含めで。

次女(4月から高3)の吃音の具合がよろしくない。
俺の高校時代の時と同程度なのかなと。
俺は部活入ってなかったから、喋る時って友達とだけで。
次女はそうはいかんし。家で見てる分だとテンション上がってると出やすい感じなのかも。
長女(4月から大学3年)は引き続き吃音重い感じ。日常的に手足を振って話してる感じがする。
でも2月の旭川例会参加者の吃りを目の当たりにすると......吃れる環境だから吃ってるのかなと。
日常生活で皆が皆あんなに吃音重いとは思わないし、ちょっと思った。
大学の授業絡みで施設での現場研修1週間も無事こなし。3年時研修はもっと大きな病院になるのかな?


来月4/20(土)旭川例会(旭川吃音カフェ-大人の部)のお題は「それぞれの発話テクニックを語る」になりそうです。

まぁ~
・寝不足だと難発出やすい
・テンション高いと難発出やすい
・冷静に穏やかだと難発でずらい感じ
・考えながら話すと難発出ない感じ(俯瞰的)
・発話に無意識になると吃音でないと思う
(意識すらしない感じ=吃っても対処法があるので困らない)
・難発が出ないように、発話してる時の間はできるだけとらない。(立板に水みたいな・抑揚もつけて)
・挨拶は歩きながら(最近は右足でリズムとってる)
・読むとか「切って」話すとか
・「ゆっくり」を意識して話す
無意識って書いといて「ゆっくり」とか矛盾してるな。
までも吃音意識してない(意識する余裕がない・吃音の不安が1ミリもない)時は吃らない気がする。



以上、つらつらと書いたけど、なんで書こうかと思ったのはREDSを試合をみて
グスタフソンと宏樹、マリウスとよしおがギクシャクしていたから。
原因はハッキリしていて、ズバリ、技術力と戦術理解度。
今年のREDSは新監督でして、グスタフソンはその伝道師として、監督と一緒に移籍してきました。
戦術理解といえば、よしおの練習後や試合後のコメント読むと賢い感じ。
他にも岩尾とか関根とか理解度の高い選手はいて、技術とセットというか、意図までわかるから戦術を破る事もできると言うか。
までも、マリウスはロングパスは得意だけど、ビルドアップのパスは苦手らしく、プレスがくるとタイミングが
あわず、横パスに逃げがち。
宏樹は経験あるのでイザとなれば戦術ブレイクはできるけど、基本は「戦術重視」
その戦術は現在構築中なので戦術10とすると教えられてるのは3とかなのかもとか。監督さんがヴェルディ戦後に言ってました。
当然、グスタフソンは10というか、応用・アドリブもできるはずで、3までを守ろうとする宏樹と乖離が見えちゃって。


吃音界隈の老害話ってあるじゃないですか~
「俺は治ったから」「俺の方法を真似すれば」「その方法は違う」「俺より吃音軽くてうらやましい」
等々......
これも見方を変えれば「結論ありき」「自分の過程を忘れてる」のかなと。
良かれと思って言ってくれる人もいるだろけど、
もっと「共感力」あれば、老害にならないと思うなと。


REDSの話に戻るともちろん試合なので時間制限あるので
10知ってるグスタフソンは「なんで上がって来ないの」
3しか教えて貰ってない宏樹は「判るけどビルドアップ時はCBの横にいないと」
と。


吃音もあるのかなと。
克服の経験を積まないと気持ち的に重いままと言うか、自分の吃音を客観視できないと言うか。
吃音は時間制限ないので焦らないで、まずは客観視。


もう時間だ。ここはこれで終了。これも押し付けになったらイヤだな。

「別冊日経サイエンス」吃音ネタ読んでガッカリした話

twitterにあったので買ってみた吃音のトコ読んでみた。

その中の
chapter4ことばの発達
「吃音症はぜ起こるのか~神経科学が示す治療の糸口」てのがありまして。
元々は日経サイエンス2022年1月号。
原題名The Stuttering Mind(SCIENTIFIC AMERICAN August2021)
著:L.デンワ―ス 翻訳協力:古川奈々子 監修:菊池良和

「新たな発見によって治療の道が示されている」
なんて冒頭に書いてあって、ワクワクしましたが。

一方で、吃音の治療は吃音を受け入れ、うまく付き合う方向へとシフトしつつある。

とてつもなく残念。

その記事読んで気になったトコ書き出します。
・電球に問題がなくても部屋全体の配線不良のせいで明かりがちらつくことがあるように
・吃音に関係する神経回路
・リスクの42~85%は遺伝的要因で説明できることが示唆されている
抗精神病薬-体重増加や運動障害の副作用を引き起こす可能性がある
・個別化治療-吃音は一種類の疾患ではなく、人によって異なることが判明しつつある
・言語療法はとても効果的だが~ほとんどの人はある時点で再発する
・それをアイススケートの習得になぞらえる
 →吃音が出てもその瞬間をうまく切り抜けられるようになる
・吃音の精神的ストレスにも対処してくれたことが吃音克服にとって絶対的に重要だった

モロニーの人生を本当の意味で変えたのは、彼女が「私の吃音ファミリー」と呼ぶ人々と交わるようになったことだった

自分にできるやり方で吃音とともに生きる方法を学んだ

自分なりに整理すると
「原因は遺伝や神経系の異常」
「薬での解決はそれぞれ症状違うので個人用薬開発まで無理そう」
「精神的ストレス対処が大事」
「自分にできるやり方で吃音とともに生きる方法を学んだ」


これって何千年前からの吃音持ちの処世術と同じゃない?
伊藤伸二さんの本に書いてる(意訳だけど)「強くなれ」「生き残れ」って事だと思った。
1900年前半までと違うのは欧米では「言語療法(再発するけど)」を受けてる事かな。


場数が大事って思うし、
失敗のダメージを減らすのは吃音の周知で、
何より大事なのは「本人が吃る事を失敗と思わない事」だと思う次第で。


トライ&エラーで言い換えや難発回避の技を増やして、
吃った時の耐性も上げて(又は鈍感になって)。


吃音持ちのおっさんに何が出来るか。(娘達のために何でもするけど)


科学雑誌だけに明るい未来が書いてあるかと期待して購入読んだのだけど、
「普段やってる事」が推奨されていて。

この記事も「明日も吃音が出てほしい。生きてる証だから」って締めてるし。

吃音は自分の一部だけど全部ではないので「吃音持ち」って自己紹介で使うけど。

記事はなんだか綺麗に纏まって、原文なのか翻訳者なのか監修者なのかワカランけど。


とにかく、私には残念でガッカリな記事でした。
原因が判っても解決しないのでは......と。

8歳以上(これも先生が8歳にしたのかな)は
腹括って「吃音対処術を自ら見つけ、ストレス対処を学び、生きていけ」

子供たちの様子(定期)

最近の吃音持ちの娘達(長女:大学1年生 次女:高校1年生)の様子

2人とも睡眠時間少なすぎ。
エビデンス的にも、10代20代は症状出やすいお年頃&睡眠時間不足は吃音悪化に直結するので、
喋りやすくしたいなら体調管理は大事よ~って伝えているけど。

次女は自宅でも難発症状は多くなってるように思う。
特に「会話の途中で何か思いついて話す」時に。
自分がそうだったからかもしれんが、気になるポイント。
でどんどん「基本は喋らん」ってスタイルのように思う。
高校ではそんな感じで振る舞っているのかなと。
制服がスカートもスラックスもOKな高校だが実質スカート、な環境なのに
スラックスを通してるのって、キャラ立ちなのか、そこは日寄らないOKな立ち位置確保してるのかなと。
学校帰りに友達と駅前で買い食い~とかしてるので、楽しそうな高校生活送っています。


そいえば、スタバって注文面倒なので自分は近づかないのだけど、娘達は行くらしく。
長女は「スマホをみせて」注文してるらしい。強いね。


その長女だけど、昨日大学サークル(吹奏楽)の定期演奏会がありました。
長女は三役という事で3部構成の最後の司会の一人でした。
そもそもそんな場所に出てこないのが長女なので意識の変化が凄い。
司会は4年生と1年生のコンビでした。
本人は行けると思って司会受けたと思うけど、
昨日の本番は残念ながら難発症状のうめき声が聞こえただけで発話出来ませんでした。
そういう事も想定しての2人司会だったと思うので、本人的にも想定内だったと思う。

長女の場合、この壁が中学からずっと続いていて。
吃音&場面緘黙というより社交不安障害の視線恐怖なのかなと、何回も書いてるけど。

定期演奏会のプログラムや題字は長女が作ったそうで「喋れないけど、それ以外で貢献」だと思いました。
軽く「残念だったね」と伝えて、夕飯は家族でネパールカレー屋さん食べて終わり。


結果は出なかったけど、司会に立つだけで成長成長。
本人も見据えて色々挑戦してるようだ。車の運転も始めてほしいのだが(笑)

大学生活はいつも4人でつるんでて楽しそうです。
いい環境の中、吃音克服(割り切り)見つけられれば。
大学の学部違い(保育系)だけど吃音の事研究してる教授がいるので、
接触してるのかなぁ~どうなのかなぁ

行動する事だとやっぱり思う。結果的に吃音改善になるはず。

時間潰しに。
昔(3千年前?)から知られているのに吃音支援が広がらないのは相手の情報不足?こちらの情報不足?


「結婚を望む知的障害者不妊手術を提案、拒否すると退所」ってニュースがあり。
正論ではとんでもない話だけど、他所の産ませてくれた事業所の、その子供の支援の話を最近聞いて正直ゲンナリして。
記事にある「成長した子どもが『なぜ生まれたんだ』と言った時、誰が責任を取るんだという話だ」
って話はリアルな話だなと思ってしまい。


リアルと言えば、
楽になりたいのなら「周りじゃなくて」「自分が変わる」のがてっとり早いとやっぱり思う。
残念ながら「個人モデル」だよね、ハンデ持ちでも戦えって話。


「個人モデル」と「社会モデル」の話は何回も書いていて、
SNSのお陰で?ここ10年で周知は広がった気は凄くする。
世の中の効率化が進んで、「(隠せなくなって)悲鳴を上げるしか無くなった」かもしれないけど。


吃音持ちである娘のカラカイから北海道言友会に入会して
「吃れる環境づくり」をイメージして旭川例会参加して、意図的に吃って引き出そうとかもしてるけど、
自分含め、「吃りたくない」の圧力はそれぞれにあって。


「吃音持ちだけ集まりたい」って未だに散見するけど、なんでだろ?
それだけ世間は冷たいって事なのかな?それとも配慮とかのバイアス掛かるのがイヤとか?


むか~しから吃音は知られていて、困ってる人も多く、
日本でも徴兵制の時は白日に晒されて矯正もされた話もあり。
(そいえば徴兵制のある国の最初の検査で吃音持ちの扱いってどうなんだろ?配慮されるんだろか.....)
世間的に「大した事ではない」と思われてるから支援が広がらないのか。
原因不明だから支援が広がらないのか。


今ふと思ったんだけど、吃音の支援が広がらなかったのは
「吃りは大した事ではない」を思わせる、吃音持ちが沢山いたって事ではないかなと。

大事だと思ったのでもう一度。
「吃りは大した事ではない」を思わせる、吃音持ちが沢山いたって事ではないかなと。


更に話がとっちらかりますが。
REDSの監督さん、今年から新監督で。
昨年監督だったのリカさんの手法は
「相手の良さを消す(相手を分析し、対策をする)」
リスク管理は最大限(基本7人で守る)」
引き分けの山を築き、契約解除になってしまいました。
「選手を準備できなかった」「コロナで新外国人が入国できなかった」とかの残念な事もあって、
「監督が悪い」って事は無かったけど、「面白くない」とも思って。


これって吃音に例えると
「準備して吃らずに話せてるけど、気持ちを出せないので友達ができない」
に近いんじゃないかと。そんな人生つまらなくね?


新監督さんは守備は3人らしい。リカさんの7人とは大違い。
攻撃はパターン化されてるようだけど「可能性があれば攻撃」なんだとか。
まだREDSでの試合見てないので、キャンプレポート読んでの妄想でしかありませんが。


その「可能性があれば攻撃」ってのが「吃ってもいい、話したい事話す」と変換してもいいじゃないのかなぁと。
楽しくない?そういうの。
世の中の「吃音大したことない説」は先人の「この人吃るけど、いい人」が作り出しているのかなと。
「いい人」と思われるのって吃音関係ないような気がする。


達観するのも自己保身のためにいいとは思うけど。
熱くなってみないか?
自分を実験台にしてやりたい事やってみないか?
とか思うわけ。
テクニック使いまくりで友達も全然いないけど、家族がいて、仕事でもそこそこ評価されて、
家族や仕事以外でも何個か繋がり(吃音も繋がりの1つだな)もある自分が、時間潰しで吃音の事久々に考えたらこんな事になった。


時間が環境が変わればまた変わると思う。今はこんな感じ。

お節介と押し付け。大げさに言うと支援の考え方に繋がるな

この前の旭川例会で吃音に自分が耐えられないって方がいてですね、
南先生に「先生が考える流暢性向上の方法を具体的に」って振ったのだけど「その人から要請されないとお答えできません」って返答で。
本人がどうしたか、周りの状況は、本人の具体的な困り感とか、ざっくり定型で「吃音の軽減方法は〇〇」とは言えないと。
そのクダリで
職場の同僚とのやりとり、そして小説「きよしこ」の後半部分にある、女子大生とのやり取りの件が浮かんで。


職場の同僚は背が低いので高いトコにある書類を使いたい時は近くの椅子を持ちだして出し入れしてる。
「一声掛けてくれればやりますよ」って都度言っていて。
実際そういう人もいて、高いとか重いとかだと呼ばれて対応。
もちろん全然苦じゃなくて、コミュニケーションの一環と言うか「仲良くなれて嬉しい」「あてにされて誇らしい」って感覚で。
でも、その人は頑なに椅子を持ち出して一人で危なっかしく書類を出し入れしてる。
近くにいる自分としては「何で声かけてくれないのだろう」「信頼されてないからかも」とネガディブな気持ちになる。
だから、「やりますよ声掛けください」って言ったりもするのだけど、それって同僚の気持ち無視で、自分の気持ち優先で行動してるよねって。


多分、同僚は「一人でやるのが当たり前で、それ以上でも以下でもない」のだと思う。
見守りって言葉は高飛車発言で、当然見守りなんて不要で、気にする必要ないんだろな。


「言友会参加して”老害”に会った」なんてツイートも見るけど、老害の人は自分の経験を良かれと思って言ってると思うけど
それって相手の気持ちを無視した、自己満足だから”老害”って言われてしまうのだろな。


書いてて思ったけど、自分がやってる「サンプルとしておっさんの吃音持ちの経験を伝える」ってゴリ押しになってないか不安になってきた。
ゴリ押しにならない伝え方ってどうしたらいいのだろ.......

何回も書いてるかもだけど、何故「吃ってもしょうがない」と思えるようになったか

時間も無いのでツラツラと。以前書いてる事も多いです。ある意味時間潰しです。
何故「吃ってもしょうがない」と思えるようになったか。
受容したかと言えばしたって言うのか?「諦めた」のだけど。
漠然と「いつか治る」と思った吃音が20歳になっても状況変わらず、治らないのではと思い始めて。
そんな22歳の時に親父が急死してお通夜の前の晩におじさん達から「親父は吃音持ちだった」と知って遺伝だと知る。
お通夜の挨拶を何とかこなし(定型じゃない自然体で話しました)翌日「このままだと後悔する」と思う。
以降は話すことに逃げなくなり「どうすれば伝わるのか」を模索していった数年間。
「治らない」を前提に考えてるから「傾向と対策」だったと思う。
上京してコサキンのオフイベントや文通とかの出会い、会社の寮だったり勤務先だったり、
浦和レッズのサポ活動とかで「吃ってもなんとかなる」「吃っても気にされない」経験を沢山する。
までも浦和レッズのサポ活動開始時は立小便できなくて社交不安障害的な感じだったはず。
駒場で寝泊まりしたり、毎週試合前に大勢の前で説明したりビラ配ったりしてるうちに色々テクニックを習得できていた。
もちろんタイミング良く言えないので色々支障が出た事もあった。
27歳頃に急激に改善したように思う(治るの諦めてから5年ですな)
30過ぎてUターン、妻に拾われて子供の授かって、3歳児検診で久しぶりに吃音を思い出す。
吃ってたけど、そこまで苦になってない時期。付き合うときには吃音カミングアウトしました。伝わって無かったようだけど。
長女が吃音でイジメ(ストレス発散の捌け口)の対象になったのがキッカケで北海道言友会に入会。
そこで自分以外の吃音を知り、悩みも知り、テクニックも教えてもらい。
までも妻曰く「結婚した時より吃音増えてる」意識の変化だと思う。

そんなこんなで吃音は無くなっていませんが、何とかやれている。吃音で悩むことは(今のところ)ない。
までも、結婚出来てなかったらどうだったか。Uターンしてなかったらどうだったか。
今54歳ですがそんな感じ。

北海道言友会の参加して、一番最初の大きなイベントで「話すのもスキル」って話があって凄く響いて。
話さないとうまくならないよねと。
脳内イメージで改善とか、将来的にはVRで恥ずかしい感覚なしで場数踏めるとか経験積めるとかあるけど。


「吃ってもしょうがない(伝える方法を知ってるから)」
「吃ってもしょうがない(案外周りは気にしないと知っているから)」
「吃ってもしょうがない(他の事で自己肯定できる)」
「吃ってもしょうがない(吃ってもちゃんと聞いてくれる人達がいるから)」
「吃ってもしょうがない(チャレンジした俺頑張った。褒めようぞ)」
「吃ってもしょうがない(あと何あるかな....)」

時間です。

進学して半年経った吃音持ちの娘達の話

自分が吃音持ちで娘達も吃音持ちになってしまいました。遺伝です。申し訳ない。
長女は重いかな。次女は工夫すれば隠せるかもだけど、言えない言葉はあるらしい。
そんな子供達はそれぞれ進学しました。で半年経っての報告。
吃音の配慮、
長女は自分で開拓してて、入学前にも学校から呼ばれて合理的配慮について先生と直で話した。
次女は面接時に書いて、入学前に学校から電話で方針聞いて担任と次女で軽く話があったはず。
受験時過剰に配慮されてたのだけど、校長変わっても自己紹介等配慮されてると感じています。


そんな娘達の様子。
長女は大学生になって。高校が最大派閥らしく。各クラスに知ってる子が多いらしく、サークル複数入るの強制(単位に影響する)らしく。までも入っても活動だけで飲み会とかは無いらしい。新型コロナの影響ですな。
友達を吹奏楽サークル(役員だとか)に誘ったり、全言連絡みのzoomイベントに参加したり、北海道言友会の旭川例会にも参加したり、
行動が前向きになっている気がする。明るくなったと言うか。私服やメイクで褒められて自己肯定力上がってるのか?


次女は高校に進学。1学年240名で出身中学から9名?な感じ+小学校の時吹奏楽旭川市内の小学校の子達とブラスバンド参加してたのもありでそこまで孤立感無かったようで、クラスに吹奏楽率が高く、部活以外にも友達が出来て、友人関係は順風満帆のようだ。SNSで中学時代の子達とも繋がっててなんかいい感じに見える。


自分は友達なんて全然いなかったので(思い返すと、小学校中学校高校と、今となっては浅い友人関係はあったなぁ・浅いと思えるのは夏休み冬休みに全然交流無かったから)娘達羨ましく思います。