吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

何回も書いてるかもだけど、何故「吃ってもしょうがない」と思えるようになったか

時間も無いのでツラツラと。以前書いてる事も多いです。ある意味時間潰しです。
何故「吃ってもしょうがない」と思えるようになったか。
受容したかと言えばしたって言うのか?「諦めた」のだけど。
漠然と「いつか治る」と思った吃音が20歳になっても状況変わらず、治らないのではと思い始めて。
そんな22歳の時に親父が急死してお通夜の前の晩におじさん達から「親父は吃音持ちだった」と知って遺伝だと知る。
お通夜の挨拶を何とかこなし(定型じゃない自然体で話しました)翌日「このままだと後悔する」と思う。
以降は話すことに逃げなくなり「どうすれば伝わるのか」を模索していった数年間。
「治らない」を前提に考えてるから「傾向と対策」だったと思う。
上京してコサキンのオフイベントや文通とかの出会い、会社の寮だったり勤務先だったり、
浦和レッズのサポ活動とかで「吃ってもなんとかなる」「吃っても気にされない」経験を沢山する。
までも浦和レッズのサポ活動開始時は立小便できなくて社交不安障害的な感じだったはず。
駒場で寝泊まりしたり、毎週試合前に大勢の前で説明したりビラ配ったりしてるうちに色々テクニックを習得できていた。
もちろんタイミング良く言えないので色々支障が出た事もあった。
27歳頃に急激に改善したように思う(治るの諦めてから5年ですな)
30過ぎてUターン、妻に拾われて子供の授かって、3歳児検診で久しぶりに吃音を思い出す。
吃ってたけど、そこまで苦になってない時期。付き合うときには吃音カミングアウトしました。伝わって無かったようだけど。
長女が吃音でイジメ(ストレス発散の捌け口)の対象になったのがキッカケで北海道言友会に入会。
そこで自分以外の吃音を知り、悩みも知り、テクニックも教えてもらい。
までも妻曰く「結婚した時より吃音増えてる」意識の変化だと思う。

そんなこんなで吃音は無くなっていませんが、何とかやれている。吃音で悩むことは(今のところ)ない。
までも、結婚出来てなかったらどうだったか。Uターンしてなかったらどうだったか。
今54歳ですがそんな感じ。

北海道言友会の参加して、一番最初の大きなイベントで「話すのもスキル」って話があって凄く響いて。
話さないとうまくならないよねと。
脳内イメージで改善とか、将来的にはVRで恥ずかしい感覚なしで場数踏めるとか経験積めるとかあるけど。


「吃ってもしょうがない(伝える方法を知ってるから)」
「吃ってもしょうがない(案外周りは気にしないと知っているから)」
「吃ってもしょうがない(他の事で自己肯定できる)」
「吃ってもしょうがない(吃ってもちゃんと聞いてくれる人達がいるから)」
「吃ってもしょうがない(チャレンジした俺頑張った。褒めようぞ)」
「吃ってもしょうがない(あと何あるかな....)」

時間です。