吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

「吃音」見られる→演技するで受け入れられたかも

吃音持ちとは関係ないのかも知れんが、
自分が昔と今で何が変わったって最大なのは「浦和レッズ(以下REDS)サポ」を自認してるトコ。
この属性フラグ、「サポーターとは」って行動パターンを意識している。


これによって、自分は吃音の弊害に立ち向かえるようになった。
立ち向かうじゃないか、スルーできるようになった、受け入れられたと言うか。


勿論、吃音のレベルがあるので。自分は軽度のほうなんだろけど。
話は逸れるが
最近うちの子供の吃音で親に「自分のどもりが遺伝して」な話をすると「それ位はどもりじゃない」とか言われる。
どもりを認めたくない、自分の育て方は間違っていないって事なのかなぁとか。
別に責めてる訳ではないのだけど、子供が「障害」持ちって責められてる気持ちになるのかなぁとか。なるんだろうな。


元に戻って。

REDSと一緒に全国周ってると「あれがREDSサポ」とヒソヒソされる事があった。
マスコミに無いこと無いこと書かれたり、警備の人に過剰な応対をされる事があった。
これはREDSだけなのかもだけど「怖い」なイメージもあるので
打ち消すために「怖くないよ」「品行方正」な振る舞いをする事があり。
逆に「REDSサポでしょ」って近着いてくる人も結構いたのだけどね。

要は「見られている」意識が出てきた。
んで「期待に応えないと」という意識もでてきた。
期待に応える=集客に繋がる=クラブにお金が落ちる可能性=REDSが強くなる!という思考で
つまり、
「REDSサポとして演技する」

自分が不甲斐ないと「だからREDSは....」って陰口言われるし、それは悔しいし申し訳ない。
だから不正はないし、品行方正に(一応大人なので品行方正当たり前ですが)。

自分が動けばREDSも評判上がると思えば電話とか駅前でビラ配りでも全然平気だし、
試合前でもチケット取りとか自分ができるならば吃りながら色々突撃できるし、
試合当日の現場なんて「一見さんがもう一回来てくれるように」説明するし過ごしやすくするし
紙吹雪とかコレオとか参加型のイベントも仕掛けるし協力できるようにするし
試合後でもゴミ集めとかイベント小道具回収とか、足りなそうな場所には積極的に声出しし、手伝いするし。
全ては「REDSが世界で輝くために」な行動なのだけど。

演技してるうちにそれが自分になった。
って自覚は凄くある。

「石橋を叩いて渡らない事も多い」から「橋壊れて落ちても大概はまぁ何とかなる」という思い込み。
「ルールは守るのではなく、使いやすいよう変えるもの」という精神。「まずはやってみよう」って。


勿論、偶然の偶然の偶然の連続、連鎖で今の自分は出来てると思う。
吃音の程度もあるし、環境(資格と経験で転職も出来て、仕事のスケジュールもメリハリ付けられた)もあるだろう。


演技するって結構楽じゃないかなって。
自分はサッカーが好きで偶然埼玉県に住んでたから浦和レッズになったけど。
小さな勇気はあったけどね。