吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ

コミュニケーションは、話し手と聞き手、つまり「あなた」と「わたし」とで成り立っており、吃音はその障害です

最近の吃音持ちの娘達の様子

4月になり。長女は中3に、次女は小6になりました。

長女は早速、高校受験で一悶着。
「面接のない高校に行きたい。」(内申点は良いほうですし、コンディションもあるから推薦も視野に)
「仲の良い友達が行く私立高校に行きたい」(う~ん。何か勿体無いような)(近所の私立高校は 公立校>私立高 なイメージ)
要は将来どうするか?って事が見えていない。部活にどっぷりだからしょうがないのかもだけど。
高校で就職ってほぼ無いので、大学or専門学校を考えてって話はして「色々考えた結果、普通科にする」とは言いました。
部活の引退は9月後半。部活仲間は昨年からとか、夏休み冬休み春休みの特別講習とかで塾通いの子も増えてきました。
我が家は幼稚園からのベネッセ(進研ゼミ)で数年前からタブレットに移行して苦手だった数学も平均以上になってきた。
塾通うのならお金ないし時間も無くなりそうなので進研ゼミは無いかな。タブレット使いたいならもっと安価なサービスかな。

長女の吃音と言うか場面緘黙的な状況は「視線が集まらないと言える」らしい。吃る事への恐怖はどうなのかな~。
相手が1人とか数人なら小6の頃には言えてたし。視線恐怖症社会不安障害のひとつらしく。
突破口はどこにあるのか、正直当惑しています。本人もだろけど。
ちなみに我が家に戻ると、吃りながらワーワー言うのは相変わらず。
部活の帰り、迎えに行って友達も乗せる時は難発伸発込で友達と話してて、それを聴くと安心はするのだけど。


次女は基本大丈夫!って。でも、引っ込み思案なのは増えてきたかな。
小学校からが学級委員長とか、部活の部長とか出来る、任せたいって話は先生から何回も聞いてて。
揉め事があっても次女が言えば周りは納得する事が多いらしく。までも「副」とか「書記」とか選んでる。
先週末は日曜参観で。一行朗読はすらっとこなし、手を挙げての発表も難なくこなし。
でも発表の前にサポートの先生が次女に何か言ってて。
どうやらサポートの先生に「いい意見だから発表しなよ」って背中を押されたようだ。
小学校で「言って良かった」って経験沢山積ませて、本当は「吃っても」って感じにしたいのだけど。本人がどう思うか。


環境的には恵まれてる我が家の娘達。今年2018年どうなるかな。サポートできれば。

吃音持ちの話し方で考えた(2/17.2/18椎野さんの講演会から)

北海道言友会旭川ブロック恒例の中高生向けの勉強会。
昨年秋の北見での講演会が凄く良かったので旭川でも~って南先生に仲介お願いしたら本人からOKが出て。
会計的にも島田先生からOK出てお呼びする事ができました。椎野先生です。

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

今回も凄く良かったです。土曜(中高生というか小学生向け)も日曜(保護者支援者向け)も。
「部活休んで参加する」と言ってた長女はインフル明けで咳が止まって無く断念。奥サマも日曜までインフル保菌状態で断念。
ICレコーダー持ってけば良かったなぁ~と。自分のスマホの性能を恨みましたな。

本題。
北見で奥サマとも話して、日曜参加者からも話があったのだけど、椎野先生の話し方が「誠実が滲むような」「説得力のある」話し方で。
具体的に書くと「ゆっくりで」「しっかりとした」「よどみ無く」って感じかな。間がとてもいい感じで。
本人は意図してないようで、「話す経験が少ないので息継ぎがわからない」「随伴も使ってます」という感じ。
自分には「全て大脳でコントロールされた話し方」だと思いました。

実は自分も小学3年4年?「落ち着けば話せる」と気づいてから親父が死んだ22歳まではそういう話し方で。
でも親父が死んだ時に「泣きたいのに泣けない。喜怒哀楽の感情失ってる」と気づいて。


前にも書いたけど「流暢に話せるけど周りに理解されないので辛い」吃音持ちが以前例会に参加してくれて。
その方の環境もあるし、性格もあると思うけど「コントロールされた流暢な話し方は不幸なのかも」と。
仕事では「伝わればいい」と思うので「流暢に話せればそれでいい」と思うけど。プライベート、普段の会話ではどうなのだろう。
その吃音持ちさんの話し方は評論家風というか目線が高いと言うか硬いと言うか。職業的にそういう形成に至ったのかなと。
だから、誤解を受けてしまい、友達が出来ないと。吃音を恨んでいると。


今の自分は、「リズムで話せると気づいた」「難発の怖さ」から間髪入れず話すスタイルになって、
奥様サマには「出会った時マシンガントークな人」だと思ったとの事で。(このブログと同じで「句読点が少ない」感じ)
親父が死んだ1年後に上京して、ほぼ10年親戚と会って無くて、話し方が変わってて。そいえば従兄弟たち目を丸くしてたなと。

感情は浦和レッズのサポ活動で大声出してるうちに取り戻した。
椎野先生は喜怒哀楽表現できるのだろうかと正直心配になった。


話し方、どちらがいい?って22歳までの朴訥とした話し方がいいのかもだけど、
ノリつっこみだとか自然に笑えるだとかは、リズム使った今のほうが喋りやすいし。
プレゼンとか、「説得」的なときに朴訥な、言葉が切れる感じな22歳までの話し方を使えれば。

今はその22歳までの朴訥とした話は正直出来なくなってしまっている。難発の恐怖なのかな。

椎野先生の心地よい声を聴きつつ、そんな事考えてた。

次女のケース会議での話と翌日夜の3人での吃音話が嬉しかった話

スマホ持ってない長女がtwitter始めました~kindlegoogleアカウント作りまして。キッカケはリトグリ情報収集のようでしたが
まずはリアルで会う中学校関連フォローしはじめて、吃音持ちさんもフォローしはじめてと。数十人になっとか。
俺のアカウント知ってるのだろな~フォローはしてないようですが。俺も娘のはフォローしない静観で。フォロワーほぼ1200人ったら驚くかな。

今週初め、次女のケース会議でした。4月からもこのまま「ことばの教室」通わせてもらいます。
お願いしてるのは「特別扱いは不要だが、彼女が困ったときに対応してほしい」
前のエントリーで難発で泣いたことがあるって書きましたが以後、そういう事はないようで。
言えなそうになると一旦間を置いたり、違う言葉にしたりして話せてるようです。日直とか発表とかまとめ役とか率先してやっているのだとか。
ことばの教室で吃音の話をする事があって、先生には、「(吃音持ちの)父からは「吃音はそれぞれ違うから」と回避方法教えてもらってない」と言って自分なりに工夫していると言っているようだ。

と言う事で、俺の話し方見ていて使えそうな事は盗んでいるようだ。お役に立てれば嬉しい。

自宅での次女は難発は顕著になってきたが長女ほどでない。難発に負けずに言いたい事を(タイミングがずれても)言っている感じ。
勿論、言いたそうなのを見て家族はそのまま待つ配慮はしてるけど。
テクニックを使えばそれなりに言えてる経験値を積み重ねて、プラスマイナスあるけど、トータルではプラスな人生を歩んでほしい。


そんな次女からジジババも奥サマも俺もいない時に「難発の時は大きな声が出る」とか何とか長女と話していて。
でそんな話を偶然聴いたので「リキまずに言えば言える」「ささやき声だとほぼ吃らない」とアドバイスっぽい事を言ったら「そうでもないかも」等々長女も次女も言い始めて。
twiterで「難発・伸発・連発」のアンケートを見たようで「長女は難発と連発」「チチは難発だけ?ではないか」等々言っていて。
長女は前は吃音に関しては秘密と言うか「吃ってる自分は自分ではない」感が凄くて。自分も小学校高学年からそういう時期あったよな~と。
でもtwitterで吃音に関する愚痴をこぼすようになってから頑なさが薄れたように思って。いい傾向。嬉しい。
次女も「吃りたくない」が凄いのだけど、壁を作る感じはなくて。

今まで娘達が吃った時、難発でリキんでいる時にアドバイスした時の雰囲気て氷のようだったのだけど。


普通になればいいなと。とにかく、あの夜の3人で自分達の吃音タイプを話してた数分間はシアワセな時間でございました。


で、長女ですが、2/17の椎野先生の講演会(旭川市内)、参加したいと部活休むと。ほほう~いいですな~
blog.goo.ne.jp

次女の話。難発で発話できず泣いてしまったようだ

このブログ、家族の話だと長女の話が多く。長女の吃音は結構重い。年齢もあるし、虐められた経験もあるし、小4の時の俺の学校へのお願いが長女の吃音を悪化させたと後悔もあり。
長女は小5からなのかな?少人数だと吃りながら普通に話せるのだけど発表とか日直とか、人数が多いところでは発話できない、挨拶できないようだ。今は吃音の困り感由来の場面緘黙なのかなって思ってる。
中2ですが小学校と同様に先生とルールを決めて基本当てられない、音読もないのかな?そんな感じです。
部活で演奏のクリニックとかで自己紹介あっても言えず先輩に言ってもらうとかかなり配慮されています。皆の前で話せればいいなと。

次女(小5)は小1から「ことばの教室」に通っていますが、基本吃ってる姿を見せないようです。
発表とか、学芸会でのセリフとかも逃げずに取り組んでいて。逃げる必要がないと言うか。
ことばの教室の懇談では毎回「通う必要ないですよね」と提案される感じ。
までも今は言いやすいセリフであるとか、できるだけ吃らないように~考えているようで。
基本的に知らない所、始めての場所には行かなくなりました。積極性が無くなった。吃音のせいというか俺のせいだ。
「吃ってもいいんだよ~」って強制はできないので囁いているのですが。
幸いなのか次女の学年は1クラスしか無く。5年間ずっと同じ(転校転入ありましたが)で幼稚園含めると8年同じ子もいて穏やかな環境で、「吃る場面もあるけど周りは特に気にする感じなく」な話も先生から聞いておりました。

だから「次女の吃音は軽いままで、自分でコントロールできる範囲で、周りからは気付かれない(自分が傷つかない)位で」過ごすのかなと、長女に比べると非常に安易に考えていました。


ですが、参観日に奥サマが聞いた話

先日、次女(小5)の参観日。社会の授業でした。何回も挙手して、一度当てられて、小さい声だったけどちゃんと答えていて。

そんな次女(小5)、参観後に先生から、実は何日も前の授業で音読の時に口を開けたまま言葉が出なくて…。その時は次の人に回してしたのだけど、泣いてしまって…。

と、話がありました。次女(小5)からはちっとも聞いてなくて。その授業後、言えそうにないときの合図が先生との間で決まったらしい(それは聞いてた)。時々、使ってるらしい。

そのことについて、次女(小5)と話たほうがよいのか悩んだのだけど。失敗と受け止めてほしくなくて、一人で悩んでほしくなくて、話てみた。本人的には、「べつに、大丈夫だし」みたいなニュアンス。大丈夫じゃないんじゃないの?と思ったけど、本人なりに考えてるようなので

一人で悩まないでね、と伝えた。次女(小5)は姉を見てるから、いろんな事感じて考えてると思った。それでも、挙手し人前で話すチャレンジをしてるから偉いよ…。クラスの友達にも恵まれてる。感謝です。

そんな事あったのか。悔しかったのだな。自分は発話できなくて皆の前で泣いた事はないな。長女はどうなのだろ?

吃音に関する事は、長女からは一切聞いてこない。次女には小3の時に少し聞かれたような。
妻には「結婚して子供生まれたらその子吃るの?」とか結構聞いてきた時期があったようだ。
吃音に関する本はいつでも読めるようにはしてる。

俺の発話テクニックを見て「果敢に発話チャレンジしてほしい」と思ってる。「話すのもスキル」だと思うので。

次女の件、泣いちゃったのは俺もショックで。遺伝のせいで娘を苦しめてしまった。

生きてく楽しさをもっともっと伝えないと。吃音のハンデを乗り越える気持ちの強さを。


話を聞いて、数日どよ~んでした。

吃音持ちがヒロインの映画「ポエトリーエンジェル」感想。ネタバレ沢山

北海道言友会の例会だったり、うぃーすたの中の人が呟いていた映画「ポエトリーエンジェル」観る事が出来ました!

poetryangel.net

映画紹介動画このサイトでも貼り付け

岡山天音、武田玲奈主演!映画『ポエトリーエンジェル』予告編


観たのは6/27。札幌のスガイで。客席40人位の箱に観たのは俺一人。この週で公開終わりのようでしたが、もっと皆さんに観て欲しい映画でした。
同時間、同映画館で吉田類さんのトークイベントがあって入場時焦りました。

吃音監修に言友会が絡んでるって「ラヴソング」と同じで。
ヒロインが吃音持ち設定ってどれ位吃音の困り事が絡むのか興味津々で観ました。

爽やかな映画。エンディングの曲がとてもいいと思いました。
紹介サイト貼ります。
Mrs. GREEN APPLE、初の映画主題歌MVを解禁。主演の武田玲奈らからコメントも (2017/02/03) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)


ネタバレ書かないで感想書くと。
父親役の鶴見辰吾さんと詩のボクシングの仲間になる下條アトムさんの存在感がハンパなかった。
母親役の美保純さんもそうだけど、有名な俳優さんってすげ~な~と。舞台に溶け込むと言うか、さり気なさが凄いなと。
詩のボクシングの先生役ってゴットタンのマジ歌に出てた人でした。
ヒロインの子カワイイ。友情出演で山崎賢人君が筋とは全く関係ない役で数分出てるんだけどチャラさ、すげ~。

詩のボクシングをするんだけど、それって「演技すると言うか素を出す」って感じで。対戦相手は女子高生なんだけど役の皆さんの入れ込み方が凄くて。
映画見終わった後に偶然カーステで10代女子トークで「時には演じないと彼氏GETできないぞ(ハート)」な話で
詩のボクシングのシートとも被り「女子コエ~」と思いました。

主人公は梅農家の子供。22歳。家業手伝いと言うよりはニート
ヒロインは高校生、クラスでは誰とも話さず、ボクシングジムに通ってる。
町おこしで無理矢理参加させられた「詩のボクシング」説明会に興味が出て。
残った4人+先生役の市役所の人と詩のボクシングの部活がある高校と試合をするのですが。

梅には緊張をほぐす効果があるとか。映画に出てきたのこの商品かな
紀州南高梅 梅なでしこ 個包装1粒(12g) | 中田食品株式会社

ラスト、すっごくいい。

もう書きづらくなったので畳んでネタバレ含めます

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関西で3月4月に吃音持ちが主役のラジオドラマがあった。「5拍子の福音」シナリオ読んでラジオドラマも聴いた感想

前のエントリー、「英国王のスピーチ」で伊藤伸二さんブログを読んでいたら関西で吃音持ちが主役のラジオドラマ(単発)があったとか。
その収録の様子が放送されたとか。吃音持ち役の俳優さんめっちゃいい演技してたとか。
聴きたかったし、観たかった。twitterとかネットちゃんと見てたら拾えたのかな?凄く残念。
製作元のMBSに問い合わせたら、監修に携わった伊藤伸二さんの団体に問い合わせたら音源や映像観られるのだろうか?
俺北海道だしな~難しいのだろな~今はrajikoプレミアム使えば関西のラジオも聴けるのでこの情報キャッチできず残念。
で、このラジオドラマの評判どうだったのだろか?宣伝足りずに広がらなかったのかな.....

www.mbs1179.com

毎日テレビ「マンスリーリポート」
http://www.mbs.jp/kouhou/report/log/201704.pdf

ラジオドラマ賞も貰ってる!凄い!表彰式絡みで再々放送とかで聴けないかな?
第54回ギャラクシー賞入賞作品一覧



感想ブログ
伊藤伸二の吃音(どもり)相談室 : ラジオドラマの豊かな世界「5拍子の福音」
伊藤伸二の吃音(どもり)相談室 : 吃音がテーマのラジオドラマ ギャラクシー賞入賞

そのシナリオがこの雑誌にあるってのでamazonで買った
ドラマ4月号(2017) | 月刊ドラマ |映人社

で、届いて昼休み読みました。
f:id:sadakiti:20170529165456j:plain


6/6追記-ラジオドラマ聴けました!
twitterで「聴きたい~」って呟いたら「音声ファイルあります」と言って下さる人がいて、昨日聴くことができました!
ネットって凄い!ありがとうございます。


感想-ネタバレを大量に含むので畳みます(聴いてからの感想も混ぜます)

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映画「英国王のスピーチ」考察が凄いと思ったので貼る

映画「英国王のスピーチamazonプライム会員は無料で観られるを発見しました。

https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81-%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88-%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/B00GL2X13Ewww.amazon.co.jp

自分は当時レンタル借りて観て感動し、年末とかBSとかの録画して観て「吃音発症の告白経緯が気に食わない~」とかちょっとナナメな感じな感想に変わり。

なのでキッカケないと再びは観れないなぁって。妻や吃音持ちの娘達にも不評な感じで、家族で観てるの実際俺しかいないと思う。

で先週?ひょんな事で伊藤伸二さんがこの映画を詳しく考察して、講演とか授業に使ってると伊藤伸二さんブログで知り。
ブログ読んで自分はこの映画、吃音持ちの脚本家さんが詳細に調べ上げて丹念に「吃音とどう向き合うか」を描いてるのだなぁと思い、観たくなりました。

伊藤伸二さん(ここまで来ないと思うけど)考察ありがとうございます。吃音持ちとして、吃音持ち保護者として励みになりました。

そのブログ、主役のコリン・ファース好きのブロガーさんトコにインデックスありました。貼ります。
これがあって大変読みやすくなりました。ありがとうございました。

http://cfirthpicbot.tumblr.com/post/145642057616/英国王のスピーチに関する講演記録-日本吃音臨床研究会-伊藤伸二氏のブログへのリンク
cfirthpicbot.tumblr.com


でそれぞれの感想や感動箇所コピペ

ネタバレが沢山出てきます。
万が一まだ観てなくて映画楽しみ!って人は絶対に読まないでください。

どもり(吃音)を理解し学ぶ、最高の教材「英国王のスピーチ
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798041.html

今年は映画「英国王のスピーチ」に学んで、吃音をどう理解し、吃音臨床や生き方にどう生かすかがテーマだった。「英国王のスピーチ」には、吃音臨床で大切なことがたくさん含まれていると、スタッフのひとりに話していたからだ。

 準備のために久しぶりにDVDを観て、改めて脚本家サイドラーの、吃音の当事者ならではの視点に敬服した。たくさんの資料を読み、調査した努力の跡がよくわかる。

吃音臨床の記録映画だといえるくらいだ。

英国王のスピーチ 1 吃音治療ではなく、ナラティヴ・アプローチ
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798062.html

映画『英国王のスピーチ』は、吃音の臨床に役立つ、大きな学びと教訓が詰まっています。

本人が語る物語がネガティヴであれば、その物語に捉われて悩みます。ジョージ6世は、「どもりは劣ったもの、悪いもの、恥ずかしいもの」の物語を繰り返し語ります。その物語には伏線があります。

ローグの献身的な、集中的な治療でも吃音は治りも、改善もしません。にもかかわらず、目標だった第二次世界大戦の国民に向けての開戦スピーチは成功するのです。

吃音に悩む人間にとって、治療者ではなく、友人が必要なのです。

どもらずに堂々とスピーチすることが成功ではない。不安をもちながら、おどおどしながら、嫌だ嫌だと思いながら、そしてどもりながら、なんとかスピーチをやり遂げたことが成功です。

英国王のスピーチ 2 どもり(吃音)の本当の問題とは何か
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798116.html

ヨーク公には、弱音が吐ける、自分が自分でいられる場がありました。ローグから対等を求められたとき、即座に彼は、家族は対等で、妻も娘もちゃんと聴いてくれ、吃音は何の問題もないと言います。吃音があっても人間としては対等だと言います。弱さを認めて、愚かな人間だ、自分は大した人間じゃないと認めるシーンがあります。

人が生きていく上で、嫌なこと辛いことは山ほどあります。弱音を、誰かに話したい。私はよく、教師や援助職のセルフヘルプグループ、弱音を吐ける教師の会のようなものがあればいいなあと思います。愚痴を言い合える仲間が必要だと思います。

そういう意味では、これは家族の支えの映画でもあったと言えると思うのです。

デモステネスも、ジョージ6世も、私も、人前で話せるようになったのは、吃音治療の結果ではなく、自然に変わったのです。ローグが治せると言ったのは、吃音症状そのものではなくて、吃音不安、吃音恐怖だったのです。
心の問題だと捉え、不安や恐怖へアプローチしたのです。

なんか違う、モヤモヤするのですが自分の経験だと「遺伝なら治らない」と諦めた親父のお通夜から自分の人生は変わりました。
吃らないように話すのは変わらないのだけど、クヨクヨしなくなった。「吃ったらしょうがない」って思うことにして、話すことに逃げなくなった。
逆説的なのだけど「治らないと思って行動した方が治りやすい」って感覚があります。

英国王のスピーチ 3 吃音治療の歴史と、ローグの治療の基本姿勢
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798157.html

吃音そのものではなく、彼の不安と恐怖にこそアプローチをしなければならないと考えたローグのセラピーに対する考え方は、的を得て、とても素晴らしいと思います。

映画に出てくる技法は、ビー玉を口に入れること以外は、全部現在でも使われているものばかりです。

ローグの孫が、ローグの日記やセラピーの記録を、脚本家のサイドラーに提供したことで、吃音治療の真実が語られることになりました。サイドラーは、アカデミー賞脚本賞をもらいましたが、思春期までかなり吃音に悩んでいました。また、子どもの頃に、ジョージ6世のスピーチを実際に聴いています。自身の体験と照らして、セラピー記録をもとに、当時の吃音治療を詳細に調査して脚本を書いていますので、「英国王のスピーチ」に出てくる吃音の治療場面は、正確で間違いないだろうと思います

「私の役目は、彼らに自信をもたせ、“友が聞いている”と力づけることだ。あなたの場合と似ているだろう」

自信、自信.....

英国王のスピーチ 4 吃音の豊かな世界
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798239.html

4月から始まった言語聴覚士養成の専門学校で、講義が始まる前に、「将来、言語聴覚士になる者として、英国王のスピーチから何を学んだか」の、2000字以上のレポートを義務づけることにした。ひとつの専門学校はすでに講義が終わり、もうひとつは第一回の3時間の講義が終わったばかりだ。今後行く予定の大学や専門学校でも同様にレポート提出を求めるつもりだ。

確かにそう言われれば、スピーチ直前まで話せず、焦りに焦っていたことを思い出しました。映画を観ていた時は、そこまで、考えが至りませんでした。説明、解説を聞いて、いろいろと気づけたことがありますので、改めて、もう一度観たいと思います

レポート提出素晴らしいと思います。是非是非広がってほしい。自分も気づかなかったけど、開戦スピーチまでの5年ローグと練習してるのよね。

英国王のスピーチ 5 人が変わっていく要因
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798242.html

人が変わっていく要因の全体を100%とした場合の数字です。

 ①特殊なスキル     15パーセント
 ②期待効果       15パーセント
 ③セラピストとの関係性 30パーセント
 ④セラピー以外の場   40パーセント

 これは心理臨床の研究ですが、

自分を苦しめている問題が、どう自分の人生に影響しているかを一番知っているのは研究者や臨床家ではなく、本人です。

吃音の取り組みは、失敗して当たり前、しくじって当たり前なのです。だからしくじったら、ごめんなさいと謝って、悩んで落ち込む。対等ということは、一緒に落ち込み、一緒に悩み、一緒に失敗し、一緒に成功する。その中で一緒に何かを探し出していく。その姿勢が、対等であるということです。

弱さや劣等感をもっている仲間として対等で、一緒に歩んでいく。これが僕が言う対等性です。

あまりコピペ出来なかった。
コピペしながら思ったたのだけど、この映画って「成人の吃音持ちへのアプローチ」だもね。成人の吃音持ちってそれまでの劣等感の払拭だったり、話すテクニックの伝授、実践してスモールステップ、自己肯定力の底上げとか大変だ。劣等感・二次障害が少ない小学生までの訓練次第で吃音改善可能なうちのアプローチとは別に考えたほうがいいのだろな。高校生以上と言うか小学校高学年以上ならば伊藤さんが書いてることは納得できる感じがする

英国王のスピーチ 6 どもる、どもらないより、語るべきことばがあるか
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798252.html

「そうとも、あなたは忍耐強く、誰よりも勇敢だ。りっぱな王になる」

字幕には、「私には王たる声がある」とありますが、公開前の宣伝映像の字幕は、「私には伝えるべき言葉がある」でした。これが吃音の臨床の眼目です。

真実の言葉を語るときは、どもった方がいいと世界的作曲家の武満徹さんが名エッセー「吃音宣言」の中で書いています。詩人の谷川俊太郎さんとの対談で、僕が女性にもてた話をしたときに、「どもる人は、誠実だと誤解されるんだよね。とつとつと話す言葉に真実がある」と言いました。

どうしてもしゃべりたいことがあれば、どもる恥ずかしさや恐ろしさを超えて、人は話していくだろう。そして、それが結果として言語訓練にもなる。どうしてもしゃべりたいという気持ちが出るような、生活の質、充実した生活をいかに送るかが大切で、その中でしゃべりたい内容を育てる。それが大切なんじゃないでしょうか

一方、どもる私たちやどもる子どもたちが苦しいのは、このように、重要な、伝えるべき言葉だけではないことも知っておいてほしいことです。

作家の重松清さんも「語りたい言葉でどもるのはいいが、どうでもいいような言葉でどもるのは嫌だ」と言っていました。

語りたい、語らなければならない言葉は、どんなにどもっても語る。どうでもいいような言葉は、伝わりさえすればいい。このように柔軟に考えることが、吃音と共に生きるということです。

サバイバル・柔軟は同意自分の行動、発話も「意味が伝わればいいや」なのでそれに近いと思う。でも強制されるものではないと思います。
喋りたくない時は話さないでOK、の周りの理解が欲しいです。「合理的配慮」社会モデルって書いていいか判りませんが、でもそれにはカミングアウトが必要だと思う。周りに言える(言えないならサポート無くても大丈夫って自己肯定)努力がハンデだなと。伊藤伸二さんの言う「吃音肯定」ってどういう意味なのだろか?

英国王のスピーチ 7  ナラティヴ・アプローチの実際
http://www.kituonkokufuku.com/archives/1798253.html

開戦スピーチの成功は、「どうしようもない王」という吃音否定の物語を、ローグを中心とした周りの人の力で、「やればできるかもしれない」という吃音肯定の物語に変えたことにあります。

ジョージ6世は、「どもっていては人から好かれない」「どもっていてはスピーチの成功はない」「どもっていると人は聞いてくれない」の物語を、子どもの頃から作り、自分で語り、それに捉われて、どもっていたら何もできないと思ってきました。
 親などから影響を受け、世間から影響を受け、自分自身で語り続けてきたのです。この吃音に対するネガティブな、悲しい苦しい物語を、新しい物語に変えたのが、この映画なのです。誠実であれば、責任感があれば、どんな場であっても、どもっても出ていける、人間として成長できるという新たな物語を語ることができたのです。

妻も、父親も、チャーチルも、ローグも、再三「あなたは、王になる資質がある」と言い続けた言葉がだんだんと身に染み入っていったから、ジョージ6世は、最後の土壇場にきて、「たとえ、どもって立ち往生しても大丈夫。最後まで読み切ることで、自分の王としての責任をとることができる。立派にできる」と、どもる覚悟ができたのです。「失敗したら失敗するまでだ」と腹をくくることができたのは、周りの人の力を借りながら、新しい物語を、ローグとジョージ6世が、一緒に作り上げてきたと考えることができます。

ディビッド・サイドラーの見事なシナリオです。 どんなにどもっても、聞いてもらう権利が私にはあると、

「頭を空っぽにして、私に話しかけろ。私だけに、友達として」これがどもる人の話すときのポイントです。
会場の中のこの人に話そうと焦点を当てます。頷いてくれている人や優しそうな人を探します。その人一人に向かって話します。

聞き手にはどもっていないように聞こえますが、本人としては、どもっている意識はあったと思います。ブロックの状態にあるのが、絶妙の間となって聞き手には伝わっています。どもった瞬間を、間として生かしているのです

劣等性、劣等感、劣等コンプレックスの三つの違いを言ったのは、アドラー心理学です。

ジョージ6世を演じたコリンファースは、インタビューに応じて、ジョージ6世をとても勇敢な人物だったと語っています。
「彼自身は自分のことを勇敢だと思っていなかっただろうが、いざとなれば臆することなく恐怖に立ち向かったんだからね。国王になるよう育てられていなかったにもかかわらず、兄が王位を捨てると、黙って王位を継ぎ、決して運命を呪ったりしなかったんだ」

どもる子どもが、流暢に話せないことに劣等感をもつとしたら、劣等感や自信について子どもと一緒に、考え、話し合うことが必要です。表面的な、運動や勉強ができるなどよりも、信頼や責任感、誠実さの方が、人間の本質的に価値があることを知ってほしい。

吃音持ちとしてと言うより、吃音持ちの娘がいる親として「信頼や責任感、誠実さの方が、人間の本質的に価値があることを知ってほしい」の言葉は重いな。吃音の欠点を補う何かを身につけさせたいって思い・想いが凄くあり。でもそうではないとハッとしました。反省。